今月の特集題
  自宅礼拝




コロナの影響で
山川 和三
 主の聖名を賛美します。
 この度、コロナの影響で、外出自粛要請で越谷教会が私どもにも自宅で礼拝するようにご連絡を頂き、最初は戸惑いながら神様が私達を守る手段として自宅で静かに祈る時と、み言葉に立ち返る時を与えられることを覚えることが出来感謝します。しかし、教会に行けない寂しさは妻と共にあります。越谷教会礼拝を発信してくださる映像で妻とともに、礼拝を捧げられる事を感謝いたします。
 その後、妻と携帯の「聴く聖書」のこの時の聖書個所を互いに読み又聞いて学ぶ時が与えられたことは感謝です。妻は、先月骨接入院し皆様のお祈りによって現在退院してリハビリしています。好きな塗り絵をし携帯電話のラインを使って長話をしています。私は、家内のために、少し朝食の料理を覚えました。たいしたことではありませんが家事を一つ覚えたようです。
 私は、元来、家の中でする仕事ですので外に出あるく事はしませんが、たまに、近くの梅林公園など散歩します。仕事は、玩具、デザインや試作品の製作や趣味で絵など描きます。現在漫画(私の家族の歴史)で昔を思い出しながら昭和の時代を生きてきた家族の姿を、漫画風にして描いて自分で製本作りなどしております。先日、突然95歳の姉から、まだその本できないの!と電話が入り、慌てて途中までの作品をまとめて未完成ですが製本にして何冊か兄弟たちに送ったりしました。私の年齢を考えると兄弟たちもこの期間、不安もある思いで、電話をかけてきたのかもしれません。暫くして姉から再び電話が入り、送ってもらった本の続編はいつできるの!早くしてと言わんばかりの電話でした。
 このコロナ騒動がいつ終わるのか、老齢の兄や姉にも会いたいし、そして早く教会に行きたいのです。教会の皆さんにもお会いしたいのです。この試練を益に変えて信仰生活を送って行きたいと願っております。       
(やまかわ かずみ)


テクテク礼拝の気づき
清水 義尋
 テクテク礼拝。かれこれ一ヶ月以上僕は散歩をしながら礼拝音声を聴いて過ごしています。
 自宅にいるとどうしても静かな気持ちに切り替わらないので、僕は礼拝の時間に合わせて靴紐を結んで家の外に出ます。マスクをしているおかげで口元が見えないので、歩きながら小さな声で主の祈りを祈り、使徒信条を唱えます。お日さまを浴びながらみことばを聴くのは中々心地良い時間です。
 ですが、一方でその時間は寂しさを覚える時でもあります。当たり前だったことが自分にとっていかに大切で尊いものであったのか。それがこの一ヶ月以上の経験で身に染みて分かりました。自宅礼拝は僕に様々なことを教えてくれています。
 まず、僕は教会に行きたくても行けない方々の気持ちが少しだけ分かったような気がします。こんな痛みを抱えて過ごしているのだなと。礼拝堂に集まれる喜びと集まれない兄弟姉妹の痛み。これからはその両方をこころにしまって礼拝を捧げて行きたいと思いました。
 また、厳しい状況下でもそれぞれの場所で礼拝を守れるように尽力してくださっている先生方や長老の方々に本当に感謝です。神さまに仕える、そして主が与えてくれた隣人に仕えるという姿勢を学ばせていただいている想いです。いつもどうもありがとうございます。
 もう少し寂しい日々が続きそうですが、与えられているみことばの恵みを噛みしめつつテクテクしたいと思います。皆さまのご健康が主によって守られますように。
(しみず よしひろ)

違う、何かが違う! 
豊川 昭夫 
 4月12日から自宅礼拝が始まった。石橋先生より第一礼拝で録画して、主礼拝の時間に動画を流して欲しいと言われ、二日前の金曜日にビデオカメラを渡された。動画を流す事は幼稚園のホームページで既に行っていたが、私自身が撮影するのは初めてだったので当日はかなり緊張した。
 録画をして動画を流すのは成功したが、礼拝が始まっていきなり石橋先生が讃美歌のページをめくる時に指を舐めた。動画を見た人から「指を舐めるのを止めたほうがいい」とメールが入った。次の週では、礼拝中、突然石橋牧師が席を外した。幼稚園ホールで笑い声が聞こえたので注意しに行ったのだ。石橋先生がどういう先生か知っていたが、甘かった。行動の予測がつかないのです。分かっている事は、考えたと同時に行動するのです。だから行動力とスピード感は凄いです。但し、周りは大変です。
 たった二週間なのに、日曜日が終わると私はドット疲れました。この時「違う、何かが違う!」と強く感じました。
 指舐め事件では、ある人からは「面白かった、笑った」とも言われたのです。席立った事件では、「逆に楽しかった」とも言われたのです。私は、問題なく礼拝をし、問題なく録画をしようしていました。実はこれ自体が駄目なのじゃないか。指を舐めたっていいじゃないか、途中席を立ったっていいじゃないか。それで礼拝が成り立たないわけではない。録画に失敗したら失敗したっていいじゃないか。録音だって録ってあるし。そんな事より礼拝に集中し礼拝を楽しむ姿勢が大事だと思ったのです。
 次の週からも事件は続発しました。讃美歌が間違って印刷され全く歌った事のない曲を歌ったり、司式の順番を間違えたり、しかしもう何が起こっても動揺しませんでした。むしろ次は何事件が起こるか楽しんでいます。楽しく録画して、自宅礼拝者と共に楽しく、そして霊と真理をもって礼拝を守れます事に感謝です。    
 (とよかわ あきお)
越谷教会月報みつばさ2020年5月号特集
「自宅礼拝」より



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