今月の特集題
  主の光に照らされて

主の名を叫び求める




神さまと共に歩む道
長尾 愛美
 この春から長女が中学生になるので、それに向けて制服や体操着などを準備しています。話と言えば、やはり部活のこと。小学校で四年生から入ることができるクラブは一年ごとに希望を出し、一週間に一回、決まった曜日に集まりますが、中学校は三年間同じ部活を続けるということで、色々悩んでしまっているようです。
 私は、二学年上の姉が当時バレーボール部にいた為、安心を求めて自然とバレー部に足が向いたのを覚えています。ところが意外と人数が多く、レギュラーにはもちろん、ベンチにすら入れませんでした。そこで顧問の先生が私に与えた仕事は、土日の練習に自分の娘(当時四~五歳)を連れて来て、その子と遊んでほしいというもの。体育倉庫の中でかくれんぼをしたり、おままごとをしたり。練習には一切参加せず「私、なに部に入ったんだっけ?」と忘れそうな日もありました。でも、その娘さんも「楽しかったからまた遊ぼうね」と帰って行くのでした。
 今考えてみれば、スタメンで試合に出て活躍している私は想像できないし、小さい娘さんと一緒になってキャーキャー遊んで、私自身も「あぁ楽しかった」と思えてた、それが今の道につながっていたのではないかと驚いています。中三の夏の大会では、最後にユニフォームのゼッケンをもらうことができましたが「それが全てではない、ゼッケンをもらえる人の気持ちも、もらえない人の気持ちも両方味わうことができた。色々な立場の気持ちを感じることができて、私は幸せだったと思います」と後輩にスピーチしたのを覚えています。
 私の娘には、「どんな部活に入って、どんな出会いがあって、どんな道が開かれて行くかなんて神さまにしか分からないことなんだよ。自分のしたいこと、目の前のことを楽しみなさい」と伝えました。
 私が一つ一つを楽しみ、時には挫折して、それでも前を向いてゆっくりゆっくり歩んでいたら、「こっちにおいで。近くにおいで」と越谷幼稚園に導いて下さったのもやはり神さま。毎日毎日、キラキラした瞳で覚えたてのことばを一生懸命並べて昨日あったことを話してくれたり、小さなモチモチの手で遊びに誘ってくれたり、時にはガハハと笑い合ったり、それは悲しかったよねと共感し合ったり。憧れの先生方と、大好きな子ども達のそばにいられること、神さまのそばにいられることに感謝して、これからも日々過ごしていきたいです。
 そして、新しい学年や新しい場所・環境に向かうことでドキドキしているみんなを、神さま、どうぞそばで守り導いて下さい。 
(ながお あいみ)


基 盤
雲見 昌弘
 最近、「断捨離」という言葉を見かけるようになった。不要な物を絶ち、捨て、離れることにより人生を改善する考え方だそうでヨガの考え方から来ているとのこと。我が家にも不要な衣類や書籍、家財道具等が沢山あり、物を捨てることが嫌いな家内を説得する上で有力な味方を得たと思い積極的にこれに取り組んでいる。新年の年賀状も今後会う機会が想定される方に限定させて頂いた。退職後にやり始めたユネスコ活動も昨年末で終止符を打った。人生のターミナルに向かって徐々に歩みを進めている状態だ。
 一方で増えてきたものもある。それは妹たちとの交流だ。私には二人の妹がいる。
 二人ともクリスチャンで一人は世田谷区に住んでいて12年前に主人に先立たれた。
 もう一人は故郷の香川県の志度に住んでいる。世田谷の妹が小生より2歳年下で、志度の妹とは9歳離れている。二人とも主人はサラリーマンだったので置かれた境遇もお互いに似ていることもあり共通の話題には事欠かない。その上3人とも読書が好きで、上の妹はキリスト教関連の書籍をよく読んでいる。昨年9月には「ただ一つの慰め」という新刊書をもらった。「ハイデルベルグ信仰問答によるキリスト教入門」という副題がついている。何故この本を贈呈されたのか一瞬おもい出せず、妹に問い合わせてみると、私が「信仰告白」の役割などについて照会したことがあり、それを妹が覚えていて、参考になるかと思い贈ってくれたとのこと。兄思いの妹に感謝である。
 志度在住の妹は歴史が好きで、藤沢周平や塩野七生のファンでもある。我が家にある「ローマ人の物語」はこの妹から譲り受けたものだ。7年ほど前には妹達夫婦と小生でトルコ旅行に出かけコンスタンチノープルやカッパドキアなどを訪れ、ローマ帝国繁栄の跡や初期クリスチャンの生活に想いを馳せた。
 こう書いて来ると順風満帆の人生ではないかと思われるかもしれないが、上の妹の夫は障害者で人知れず苦労があったこと、志度町の妹には子どもの結婚問題が、又我が家には小生の海外勤務直前に家内に子宮筋腫が見つかり緊急に手術を受けなければならなかったことなど危機にも遭遇した。一時、私の海外勤務等のため関係が疎遠になったこともあったが、ここに来て親交が深まっている。
 私たち三人には信仰という母が残した共通の基盤がある。神様は喜びもくださるが、試練も与えられる。試練の時は神様の御心がどこにあるのか分からないこともある。しかし、時が経つにつれ神様の御心はここにあったのかと気づかされることも多い。
 信仰の薄い私たちだが、これからも信仰を基盤にした生活を続けていきたい。
(くもみ まさひろ)

越谷教会月報みつばさ2020年3月号特集
「主の名を叫び求める」より



特 集