今月の特集題
  主の光に照らされて

静かに御言葉を聞くとき




神様に守られて
豊田 雅孝
 
 私は瀬戸内海の孤島、愛媛県の野忽那(のぐつな)という小さな島に生まれました。私がキリスト教に初めて出会ったのは、中学から下宿をして通った松山市にある六年制のカトリックの学校でした。倫理の時間にスペイン人の神父様から「誰の心にもある良心は神様の声です」などと教わりました。しかし、高校一年生の時洗礼を受けたのはバイブルクラスがきっかけで、偶然行った松山バプテスト教会でした。校長先生が旧知のアメリカ人の宣教師さんに「カトリックの学校の生徒をプロテスタントの信者にするとは何事か」などと抗議し、私がやり取りの手紙を運ばされたことを思い出します。
 ところが、受洗した時には熱心だった私の信仰も、東京の大学に入ってスポーツ活動の為すっかり足が遠のいてしまいました。しかし、結婚して子どもができると、妻の母から「信仰は大切です。子どもだけでも教会に行かせなさい」と言われ、小さな三人の子どもたちを近くの久我山宣教会に行かせていました。早朝のジョギング中に会う中原老牧師からも「子どもさんは教会に来させなさいよ」とにこにこしながら言われました。その内、子どもたちから「お父さん、お母さんは子どもたちだけ教会に行かせてどうして自分たちは行かないのか」と責められるようになり、私たちも子どもたちの言う通りだと思い時々教会に行くようになりました。
 そして、1978年東京の社宅から今の越谷の家に引っ越してからは近くに住んでいた妻の妹が通っていた越谷福音自由教会に出席するようになりました。当時はまだ「キリスト教に頼らなくても生きていけます」等と生意気なことを言って牧師さんを困らせていました。
 しかし、1985年家族と一緒にアメリカに転勤してから通ったテナフライ長老教会では、始めから同じキリスト教信者として受け入れて頂き言葉も習慣も違う異国の地でどれほど助けられたか分かりません。
 特に長老のメアリー・ジェイン・スワンソンのことは忘れられません。地域に住む日本人の婦人達を月に一度自宅に招き料理を教えたり、美術館や自分の別荘に連れて行ったり、多くの日本人がお世話になりました。
 私たちも家族でお世話になりました。今でも年に一度来る彼女の便りを読むと感謝で目頭が熱くなります。またその教会では月に一度、日本人牧師によるSMJ(日本人のための特別伝道)の礼拝がありました。
 その内大きな出来事がありました。当時、免許取りたての高校生の次男が雨の日前から来る大型トラックを避けようとしましたが、いつの間にか凍結した路上で思うようにハンドル操作が出来ず、もう駄目かと思った瞬間急ハンドルを切って電柱に衝突して止まりました。車は大破しましたが、息子は軽傷で済み、同乗していた友人も助かりました。娘も運転中、街路樹でストップの標識が見えず前進したところ、横から来た車に衝突され車が裏返しになりましたが無傷で済みました。これらのことは運がよかったでは済まされません。神様が奇跡を起こして救ってくださったのです。家族全員無事帰国できたのは神様が私たちを守ってくださったからだと固く信じています。
 「人にはできないことが、神にはできるのです。」(ルカによる福音書18章27節)  
(とよた まさたか)


教えて下さい、神さま
野口 良子
 礼拝は、できるだけいろいろな思いを巡らせることなく、「無」に近い状態で聖書の話を聞きたいと願うのだが、なぜか歳を重ねると、考え事が多くなり、考えなければいけないことも多くなり、それが礼拝中頭の中でグルグルしてしまうのだ。当然、話が耳に入らない時もある。だから、私にとって礼拝は、自分の弱さを知る時であり、本当の自分に気づかされる時でもある。けっして、心の中は静かな状態ではないのだ。けれどもここにいる私は、しっかりと神さまに捕えられ、導かれて、聖霊という見えない神さまの助けによってみことばを通しこんな私にも、救いに導く知恵が与えられるのだ。
 一昨年、父が天に召された。本来、人の死ほどの悲しみはなく、母も姉も突然の死に動揺した。しかし、私の心の中は、死別の悲しみと共に、今までの私の祈りが、神さまにすべて聞き入れられ、主に父をお委ねする平安が与えられた瞬間だった。父が、84年間、生きてきた生き様。そして、最後の痛みとの戦いすらも、そのすべてに神さまの力が働いて下さっていたことに気づかされ、愛しく思えたのだ。愛する人のすべてをお委ねする、あの、安堵した感覚は今でも忘れられない。そして、イエスさまが命をかけて教えてくれた主の道をどう歩もうかと考え始める自分がいたのだ。父のためにも、「しっかりと前を向いて」とやさしく背中を撫でて下さる神さまを感じた。たとえ、死や暗やみの中にあっても、私達は、心からの慰めを受けることソース画像を表示ができることを知った。あの日から私にとって、より一層神さまが近い存在になったのだ。
 いつの日か、考え事が頭の中でグルグルしないぐらい、その心の中にいっぱい神さまが迎えられるゆとりを持てるような人になりたいと思うのだが、私にとって「静かにみことばを聞く時」はいつやってくるのか未定で、私には、まだまだわからないことだらけです。「教えて下さい、神さま」。
(のぐち りょうこ)

越谷教会月報みつばさ2020年2月号特集
「静かに御言葉を聞くとき」より



特 集