今月の特集題 主の光に照らされて
新しい年を生かす御言葉
角田あゆみ |
10年前、新婚旅行で屋久島に行き、山登りしたことがきっかけで、その楽しさに目覚め、夫婦で山梨、長野、群馬、北海道、色々な山に登ってきました。 登っている最中は まだ着かないのか。あぁ疲れた。辛い・・・。何故、こんなに辛いのに登っているのだろう・・・ と思いながら登ることもあるのですが、登っている途中に出会う動物や鳥、植物、すばらしい景色を見ると、それまでの疲れが嘘のように吹き飛んでしまうのです。 神様が与えてくださった豊かな自然をより間近に感じられることも喜びの一つとなっています。 昨年は、山登りが好きなこともあって、一月からアウトドアショップで働くようになり、職場の方々と一緒に登山したり、山ご飯を作ったり、紅葉を見ながら沢歩きをしたり・・・と、たくさんの新しいチャレンジをした一年になりました。 さて、今年はどのような一年にできるでしょうか。新年を迎え、新たな気持ちで「今年は〇〇しよう!!」と考えてみるものの実現できない時もあります。しかし、そのような時に、私の意志は弱くても、私を新しくしてくださるのは神さまなのだと、聖書を読むごとに思わされ、力づけられます。 「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」(コリントの信徒への手紙一 5章17節) 「あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。こう言われているからです。 『人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。』」(ペトロの手紙一 1章23~25節) 永遠に変わることのない御言葉に支えられ、歩む一年となるように。 私にできることを、どうぞ主よお示しください。 |
(つのだ あゆみ) |
一柳麻依子 |
主の御名を賛美します。 私は結婚を機にキリスト教と出会い、越谷教会に繋がりました。結婚式を越谷教会で石橋牧師に行っていただき、その時に「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(コリントの信徒への手紙二 12章9節)という御言葉をいただきました。その時は、この御言葉の意味を深く理解することはできませんでしたが、不思議とこの御言葉が心に残り、事あるごとに思い出すようになりました。 結婚後は、礼拝に出て、毎日聖書を読み進める生活を送るようになり、約一年半後の2016年のクリスマスに受洗の恵みにあずかりました。受洗したら今までは疑問だらけだった聖書がもっと分かるようになるかもしれない、もっと深く信じることが出来るようになるかもしれないなどと期待をしていましたが、劇的な価値観の大変換はおこりませんでした。しかし、毎日コツコツ聖書の御言葉を読み、祈ることを地道に続けるその過程で、神さまはいつの間にか、私をイエスさまと出会わせて下さり、イエスさまを信じる者へと変えて下さっていました。神さまは、確かに私を導いて下さっていると感じます。 以前は、イエスさまという存在を知りませんでしたが、信仰を与えられた今は、愛そのものであるイエスさまが共にいて下さいますから、イエスさまに依り頼み、何でも打ち明けて祈り、ゆだねることができます。弱さを支え補っていただけます。本当に大きな恵みです。神さまは劇的な大変化は起こされませんでしたが、私の弱さに働きかけて下さり、じわじわと内面に影響を及ぼし、気が付いたらいつの間にか私自身が変えられていた、答えが与えられていた、という経験をしました。 祈っても願い通りにならないこと、祈りが叶わないこともあります。時に心が折れそうになることもありますが、神さまは私にとっての最善を成して下さっていることを感じます。 「だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」という御言葉に励まされます。弱さがあるからこそ、その弱さを通してそこに神さまが働きかけて下さっていることを知らされました。神さまは、今は分からないことも必ず時が来れば答えを明かして下さり、また「試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」という御言葉の通りであることを教えられています。 新しい年も、日ごとに御言葉から栄養をいただき、神さまが私のために備えていて下さる道を感謝と喜びをもって歩めますようにと祈ります。 |
(いちやなぎ まいこ) |
越谷教会月報みつばさ2020年1月号特集 「新しい年を生かす御言葉」より |