今月の特集題
  主の光に照らされて

主の光の中で高らかに賛美する




今、静かに振り返ってみると・・・
池田 和美
 ♬ 神さまに感謝しましょう ♬
     ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ
 ずっと以前、越谷幼稚園で仕事をさせていただいていた時、ページェント礼拝で子どもたちと一緒に賛美するこの讃美歌はいつも私自身を神さまの元に立ち返らせていただけた心に深く残る讃美歌です。
 幼稚園を離れて10年以上の時が流れても、過ごした日々のことが鮮明に私の心の中にあります。園長先生は「2つの道のひとつを選ぶとすれば、困難な道を選ぶ。イエス様がそうされたように!」と。また、やらなければならない多くのことを抱えたとき、「同時にやることはできないけれど、忘れないでいる、覚えていようとしているよ」とにこやかに控えめに話してくれた主任。仕事をはるかに超える心の栄養をたくさん与えてくださり、私が私であるための核となっています。
 その後違う場所に移り、食にかかわる知識を学び、仕事をする中で、多くの人と出会い、様々な出来事と向き合いました。幼稚園での仕事では想像すらできないような、ちょっぴり大変だったことも含めて。
 思えば、これまでずっと、ただ夢中で走ってきたように感じます。数年前に2人の子どもたちはそれぞれの道を歩み始め、父を天国に送り、今秋母を父のもとへ送りました。先日の納骨の後に「千の風になって」のメロディーと、以前の礼拝での石橋先生のお話が重なって、大きな勇気がこみ上げました。今、静かに振り返ると、そのどの時も神さまの存在を感じます。あの時のあの場面は、今のここに繋がっていたのですね。あの時あんなに辛かったのは、今のこの場面に活かせるためだったのですね。嬉しいこともつらいこともダイレクトに相手にぶつけるのではなく、神さまに問うことのできることがこの上ない喜びです。素敵な人たちに巡り合えたことは、その人たちに感謝することは言うまでもありませんが、それはすべて神さまが“気づきなさい。感じなさい!”と出会わせてくださったのだと確信できます。
 今、私の日常は食一色です。保育園で子どもたちの食事を作り、また家では、夫が栽培して商品にならない山ほどの不格好な野菜(それでも元気な野菜です!)たちの処理や、依頼されているパン作りや食事会などで過ごしています。自分が関わっているすべてのことは神さまが私に与えてくださった使命のように思えてなりません。学んだ“食の大切さ―何をどれだけどんなふうに食べるのか”を一皿に込めて伝えていきたいと思います。心と身体の両方が嬉しい一皿を目指してさらに学びたいです。そのどの時も神様に問いながら、祈りながら。  
(いけだ かずみ)


少し止まって考えてみること
佐藤 祐子
 自分の能力の限界というのをいつも思い知らされている。この原稿もずっと前に渡されていたのに結局しめ切り前日に半泣きで書いている。「理解する」という点においても同じ。何回説明されても、読んだつもりでも間違えたり忘れてしまったりする。だから、心の中に残っている薄い微かなものが私が理解できたものなのだと納得している。(文中で間違いがあったら許していただきたいし、何故こんな事を書き出したか後悔もしている)。
 今、地球は瀕死の状態だという記事を読んだ。12時が一番まずい時だとすると今は9時46分頃だとか。地球温暖化のために北極南極の氷はどんどん解け、海水温が上がり異常気象が起こる。大きな被害をもたらした台風や大雨は今年に限らず、今後も起きるという。山が切り開かれ、海が埋め立てられ、行き場を失ったたくさんの生き物が絶えた。海にはたくさんのゴミが漂い、エサと間違えてポリ袋を食べたカメやクジラが死んでしまうという。目に見えないほど細かくなったマイクロプラスチックは魚の体に蓄積され、それを知らないうちに人が食べている。
 今朝、回覧板で「なくそう食品ロス」というちらしが回ってきた。食品自体を捨てるもったいなさと共に、生産するための、輸送するための、ロスしたものを焼却するためのエネルギーがすべてむだになってしまうという。片や、飢餓のためにたくさんの生命が失われている現実があるというのに。この100年から50年の間に文明の発達や技術の進歩で人の生活は豊かになったが、地球環境は劇的に悪化しているという。とはいえ、自動車はなくてはならないし、スイッチを押すと洗濯機が洗濯してくれる便利さから、川で洗濯の時代には戻れない。豊かさや便利さの中で安心して暮らしているのも事実だ。
 神さまが「ここに住みなさい。ここで共に生きなさい」とお与え下さった地球の上で、神さまがお創り下さったバランスを崩して、もっと便利にもっと快適にと進んできて今があるとしたら、私たちはこれからどうしたらいいのだろう。
 以前テキストで田中かおる先生が「たくさんの恵みをいただいているのに私たちは請求書の祈りばかりをしてはいないか。もっと感謝の領収書の祈りをしなくてはならない」とお書きになっていた。私たちは自分では雨粒一つ降らす事もできないし、木の葉一枚黄色くすることもできない。すべて神さまのお与え下さる恵みの中で生かされている。あなた方を罪から救おう、幸せに生きなさいとイエスさまが共にいて下さる。「もっともっと」を少し考えて、ひとつひとつの恵みに感謝してすごす者になれるだろうか。「浴槽はもうみがきません」のCMを横目にスポンジでゴシゴシ風呂洗いをするおばさんである。
(さとう ゆうこ)

越谷教会月報みつばさ2019年12月号特集
「主の光の中で高らかに賛美する」より



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