今月の特集題 主の光に照らされて
主の光に照らされて生きる喜び
倉田 彩子 |
私がイエスさまを知ったのは、☆年前越谷幼稚園の年少組に入園した時でした。細かいことはどんどん忘れていくタイプの私ですが、幼稚園の頃のことは今でもいろいろな場面を思い出します。 木造の礼拝堂と園舎、礼拝堂から職員室の横の廊下を通ると幼稚園のホールに繋がります。クリスマスにはろうそくを手にその廊下を通りホールへ向かい礼拝を捧げるのです(私の記憶違いでなければ)。クリスマスページェントでは母が編んでくれた白いセーターを着て羊になりました。そんな三年間の生活がすべて今の私に繋がっています。と偉そうに言いましたが、そのことが分かったのは越谷幼稚園で保育というお仕事をさせていただくようになって何年も経ってからです。 幼稚園を卒業してからは、弟達が通園していても教会学校に行ってみようという気など全くなく、神さまから遠く離れた生活を送っておりました。それでも、何かの折幼稚園の前を通ると教会の窓のステンドグラスが見え、なんだかすごく懐かしく嬉しく、中に入りたい思いになったことを思い出します。そんな私を神さまはどこから見ていてくださったのでしょう。何を思って見守っていてくださったのでしょう。 保育の学校へ進みいよいよ就職を前にした秋、当時幼稚園にいらした大塚先生にイトーヨーカ堂でお会いして就職のお声をかけていただきました。試験を受け、受け入れていただいて越谷幼稚園の保育者として歩み始めたこの時が、神さま・イエスさまとの新たな出会いの始まりでした。 その後就職をして二年を終えた春、イースターに受洗をいたしました。分からないことだらけでした。でも、神さまが子ども達を通して受洗へと導いてくださったのだと思います。こんな私が一番分かりやすい方法で、分かりやすい道を示してくださったのだと……。 「ここに来なさい」と呼んでいただかなかったら、子ども達がいなかったら、私の信仰生活はなかったと思います。クリスマスに目を輝かせて役を選びページェントを喜びいっぱいに捧げる子ども達と「先生は幼稚園のとき羊になったんだ」と話せるその時に、いつもいつも繋がっていたことに気づかされるのです。 ☆年前のことから長々と書いてしまいました。本当にいろいろなことがありましたが、すべての時間が主の光に照らされていた私の時間だと今は分かります。それなのに感謝を忘れ、ぶつぶつと不平不満をつぶやく毎日を反省します。これからも祈って、子ども達と共に笑って、喜んで、感謝して歩んでいきたいと思います。 |
(くらた あやこ) |
鵜飼由紀子 |
ある朝、週報ボックスに封筒が入っていました。みつばさの原稿依頼。 以前に書いたのは、いつだろうと思い起こしながら、振り返ってみました。多分書いたのは、愛犬が我が家に来た頃。今年12歳になりました。 この十数年間、仕事は、決して順風満帆とは言えませんでした。社屋を売却し、移転。多くの方に支えられて、続けてこられています。 子ども達は、どうにか大学を卒業、やっと働き出しました。 過ぎてみれば、このような一言で済ませられますが、ここまでの道は長かった気がします。 今年1月に、母が倒れ救急車で搬送。医者には散々脅かされましたが、どうにか退院するも、車椅子の生活になり認知症もあり、施設での生活を余儀なくされてしまいました。ですが、母は私が見た事もない程、穏やかになり、楽しそうに日々を過ごしています。考えてみれば、父亡き後、仕事に自分だけ苦労している気になっていましたが、母も辛い思いをしていたのかもしれません。きっと、家から離れて、やっと解放されたのかと思えてなりません。 私は、教会から足が遠のいていました。仕事と家庭と趣味を口実として。 ですが、こんな私でも何時の時も神様が見守り道を示してくださっている。思いもよらないところで、道を示してくださり、光を照らしてくださっている。 そして、今、又、越谷教会に導いてくださった。 そのお導きに、日々を過ごせることを、感謝しています。 |
(うかい ゆきこ) |
越谷教会月報みつばさ2019年11月号特集 「主の光に照らされて生きる喜び」より |