今月の特集題
  聖書を読んで祈って伝道する

聖書をどこで読む




まいりました!
中村壽美子
 「ひゃー、凄いテーマがきたあ!」
 みつばさ委員さんから原稿依頼を受け取って思わず頭を抱え込みました。
 『聖書をどこで読む』そんなこと訊く?私に?なんで?読む場所?真面目な(?)私は必死で考えました。素直に答えれば○○○で読みますと一行で済む問題です。でも、この問いの真の狙いはどこにあるのか?取り敢えず場所を答えようとしたその時、頭の中に自分の信仰生活のだらしなさがパズルを崩した断片のようにバラバラと浮かんできました。お前は聖書を真剣に読んでいるか?グサリと突き刺さる問いが、表題の陰に隠されていました。
 今更エエかっこしても手遅れです。神様は私のすべてをご存じですから。ということで、テーマに戻って、3LDKの我が家、当然の如く私の書斎とか部屋などはありません。連れ合い曰く、「家中あんたの部屋みたいなもんでっしゃろ?」と。いえいえ、私、自分の部屋欲しい、です!この現実からお察しのごとく、居間の食卓が私の聖書を読む場所です。それも条件付きで。まず家に独りの時、あれこれやらねばならぬ家事一切が終わっていること、食卓の上が散らかっていないこと、そして心安らぐ曲を流しながら、です。これらの条件でやっと集中して聖書に向き合えます。ゆえに回数が多くありません。恥ずかしながらこの世的な生活にドップリ浸かっている私は 生活行動のすべてに優先して聖書を一番に読む、ということが出来ておりません。
 迎える礼拝や聖研の準備も大切ですが、自分の信仰の養いのために聖書を読むことの重みにあらためて気付くことができました。こんな欠けの多い価無き者があろうことか、役員に選ばれて半年が過ぎました。
 まだ先輩方に教えて頂きながら右往左往しています。親の介護を理由にして逃げ回っていましたが、とうとう神様に捕まりました。訓練し鍛えて頂ける恵みに心から感謝を捧げたいと思います。もしも奉仕の重責に堪えかねて私が何かをつぶやくのをお聴きになりましたら、越谷教会のみなさま、「みつばさにあんな偉そうなこと書いてたじゃない!」と叱ってください。宜しくお願い致します!
 『御言葉はあなたのごく近くにあり、
  あなたの口と心にあるのだから、
  それを行うことができる。』
        (申命記30章14節)
(なかむら すみこ)


聖書をどこでどう読むか
榎本喜美夫
 与えられた題は「聖書をどこで読むか」でしたが、「・・どこでどう読むか」にさせていただきました。
 本を読む場所に関しては、人それぞれの習慣などがあると思います。小説やリラックスした状態で読むもの、調べ物を含め少し身構えて読む本・・・に合わせて場所も決まってくると思うのは考えすぎでしょうが。
 私の居所は小さいながら寝室を兼ねた書斎的なところです。
 ここに結婚してから購入した木製の机(長いこと願望、145p×75p)がおいてあり、その上に三段の本棚を立てています。日常必要なもの(辞書・日記・日常使用のファイル・聖書・聖書辞典など)が、机に座ったまま手にとれるようにしてあります。ノートパソコンも置いて、朝と夕食後のあわせて数時間はここで過ごします。
 定年退職後の時間をどう過ごすか、というテーマに直面したときに、聖書を一日5章程度読もうという計画を作りました。「読書百遍意(い)自(おの)ずから通ず」(中国古典・三国志)ということわざが(江戸時代まで日本の寺子屋教育も論語の素読中心もこの発想?)あります。わが聖書日読も内容は全部理解できないにしても何度も読めば少しは理解できるようになるかな、といういい加減な発想でした。自分に圧力をかけるため「聖書日読」というノートを作り、一行に日付・個所・章番号を記入するようにしています。習慣になるとこの日課を消化しないと気分が多少落ち着かなくなります。とはいっても空欄の日がときどきできてしまいますが・・・。
 旧約聖書と新約聖書を交互に読みます。この原稿のためにこれまで聖書を通読する期間がどれくらいなのか調べてみました。旧約聖書は続編まで含めて約7か月、新約聖書は約2か月かかっています。
 ではこうして読むことにより、理解が深まっているかというとこれがダメなのですね。約5章というのがノルマになってしまうと、頭に入ることがおろそかになってしまうのがわれながらよくわかります。疑問に思ったことは聖書事典に当たってみますが、平面的な理解でしかありません。
 新約聖書のなかで思ったのはパウロの伝道旅行が小アジア(現在のトルコ中心)を中心になされており、随分とキリスト者が生まれていますが、その後イスラム化されてしまいました。高校生のころは聖書の舞台は神話的世界と思っていましたが、イエスやパウロが実際に福音を説いて歩いた実在の土地であることも含めて聖書を読むと、キリスト教の発生・世界中への広がりが人間わざでないこと=神の御業であることが実感されます。
(えのもと きみお)

越谷教会月報みつばさ2018年10月号特集
「聖書をどこで読むか」より



特 集