今月の特集題 聖書を読んで祈って伝道する
み言葉に聞く
薩摩 雅宏 |
「みことばに聞く」のテーマでという依頼を受け、夏の30度を超えるなかパソコンに向かっています。自分の好きなみことばで構わないということなので、ずいぶん昔に信徒奨励日にお話ししたことで書くことにしました。 題を見て、これはどこの聖書箇所か分かる方も多いでしょう。この言葉は、主イエスが十字架で発せられた言葉のうちのひとつです。誰に向かって発せられたのでしょう。一緒に十字架に掛かった罪びとに対してです。 この罪びとは、主イエスのことを知っていたのでしょうか。せいぜい噂程度で「イエスとかいう男がいるらしい。」と知っていたくらいでしょう。その男がとうとう主イエスに相まみえるのです。自分の後ろで十字架を背負っている、痩せた弱々しい男の姿を見るのです。十字架の重みに何度も膝を付き、倒れそうになる男を。終いには、倒れ立ち上がることが出来ず、見物人に十字架を背負ってもらう弱い男を。 「本当にこの男があの噂の男なのか。十字架刑を受けるほどの悪人なのか。なんて、弱い男なのだろう。」と思ったことでしょう。十字架につけられてからもそう思っていた彼は、主イエスを始め罵倒します。しかし、十字架上での主イエスの言葉を耳にする度彼の気持ちに変化が見られます。「敵を赦すだと・・・。俺はその敵を殺すために生きてきた。それなのに敵のために執成しの祈りをするとは・・・。」彼は、悩み始めます。その悩みを一気に解決する言葉が発せられたのです。反対側にいたもう一人の罪びとからです。悪意のある言葉でした。その言葉を聞いた時、すべてが分かったのです。この弱々しい男こそ、救い主であることを。彼は言います。「私を思い出してください。」と。その時、苦痛のなかにあったはずの主イエスは彼の方を向いて力強く宣言します。「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。」彼はそのみことばを聞いた時、心が平安に満たされたことでしょう。身体の苦痛は消えません。しかし、彼は確実に主イエスに出会い主イエスを救い主と告白し、罪が赦されたのです。彼は、この世の生涯の最後の最後でキリストに出会うことが出来たのです。 この話は、ルカだけが記しています。ユダに対して「友よ」と声をかけ、三度知らないといったペテロを振り返って見つめたこともルカだけです。私達がもの凄く弱くなったときに見つめておられる主がいるのです。支えくれる主イエスがおられるのです。 私も「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。」と言われるようにしたいと思っています。主イエスと一緒って素晴らしいですよね。 |
(さつま まさひろ) |
土屋 恵子 |
越谷教会のイエス様が子羊を抱いている絵が好きです。 30年前受洗した教会附属の保育園での礼拝で初めて読んだ紙芝居が「まいごのメーコ」でした。読んでいる途中から涙があふれてしまいました。 牧師(園長)先生の子どもたちへの話と続きました。見失った羊のたとえ話ですが、いつも神様に見まもられている喜びは感謝に絶えません。今までも、信仰が与えられていたことに力づけられて励まされてきました。 幼い時、朝早くラジオから流れる聖書のみことばと讃美歌を母は毎日聞いていました。母は女学校時代に小松川教会に通ったことがあるとのことで、讃美歌がありました。聖書はなかったんです。母はクリスチャンではありませんでしたが、私は12月7日生れ、墨田区の産院で生まれた時、とりあげたお医者様は「クリスマスを待つときに生まれたから恵みの子だね」と言った一言で「恵子」と名付けたとのことでした。 父が他界して52年余り、母は86歳の今もとても元気です。神は人の歩む道に目を注ぎその一歩一歩を見ておられる(ヨブ記34章21節)。 ありのままの自分で自分らしく、なるべき自分、あるべき自分、でこれからの人生を歩いていきたい、ますます自分に出来ることを見つけてトライしていきたいです。 そこには神様を見上げて、賛美して祈ることを忘れず、試練をも受けとめて、笑顔で進みたいと思っています。 昨年は職場にて、今まで支えあったものが突然の出来ごとによって失いかけそうになり、仲間の笑顔も消え何をどう解決したら良いか「どうして」と嘆くばかりの日々でした。 信頼という言葉の重さも痛感しました。事案は表面上落ちついても、消えることはないのですから、私たちは職場にて今まだカウンセリングが続いていますが、今は多くの励ましと支えにどうこたえていくのか問われてます。 誰にどう伝えたら良いかわからない中で、教会の礼拝に来ることにより頼むことが慰めでした。でも、どう祈っていいのかもわからず「神様助けてください、仲間を力づけてください」としか祈れませんでした。 最後になりましたが、本気で聖書を読むわたしでありたいです。 |
(つちや けいこ) |
越谷教会月報みつばさ2018年9月号特集 「み言葉に聞く」より |