今月の特集題
  聖書を読んで祈って伝道する

礼拝の恵みに生きる




今の辛いこと、イエス様と一緒に
谷口 則之
  僕は過去に一度だけ聖書を通読しようとしたことがあります。旧約の初めころにダビデの系譜だったか、名前が列記しているところで挫折しました。つまらない。
 それ以来、礼拝での説教だけが頼みの綱です。
 僕にとって礼拝の説教だけが唯一聖書に触れられる時間。良く「敬虔なクリスチャン」という表現を聞きますが、と、言うことは「敬虔でないクリスチャン」が存在するわけです。僕のことです。
 なぜその僕がこうして寄稿させられるのか意味不明です。まったく神様のご計画は、サッパリ分からない。
 ということで僕にとって礼拝は「恵み」というより、なければ神様とつながる術を失うものですね。溺れる者、藁をもつかむように牧師先生の言葉を聞いています。
 本当に石橋牧師先生の説教は、分かりやすいです。
 さて、僕はカメラマンです。生きていくのが精いっぱいのプアーな生活をしています。神様は、この貧乏人に、献金だけではなく「生きた供え物」をしろと言っています。自分で最も輝く宝物を惜しみなく捧げろということですね。これは、一人一人、捧げものは全く違うものです。
 僕の場合、フェイスブックで「キャンプじぃじ」と検索したものを「生きた捧げもの」にしてみました。神様が受け取って下さるかどうかは分かりません。
  でもこの捧げものは、神様の「軛は負いやすい」という言葉通りで、楽しくてしょうがありません。
 誰でも、すべての人は、本人の意識とはまったく違うところで「神様の御用」を、もうすでにしています!
 このことに気付けば、生き生きと生きられるはずです。
 もし、今、生きているのが辛くてしょうがないという心があったら、それこそが捧げもののヒントです。
 苦しい、大変、辛い、ここにこそ神様からの、あなただけの生きる意味が込められているのでしょう。僕はそう思います。
 今日(六月十七日)の牧師先生の説教の次の節のところに、
 「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むことを」(ローマの信徒への手紙5章3〜4節)とありますが、本当にその通りです。辛いところにこそ捧げものがあります。
 僕は、敬虔ではないクリスチャンですから、捧げものは、超楽しくてしょうがありませんが・・・アーメン。
(たにぐち のりゆき)


礼拝から生活の場へ
鈴木 美紀
 今年の10月で受洗してから10年になります。礼拝に何とか繋がらせていただいたおかげで、「最後は何とかなる」という楽観的思考を育てて頂いたと思っています。「私なんかどうせ…」という思考から解放されました。
 礼拝の終わりに牧師先生から祝祷をいただくと日曜日から始まる一週間を「主と共に歩ませて下さい」という厳かで爽やかな気持ちになります。イエス様が私の罪を贖って下さった事。神様は私を愛して下さっているように全ての人々を愛している事。主の御心に心から感謝して歩めるよう祈りが与えられている事。この一つ一つの確認が私に心の平安を与えてくれます。
 現在、息子の小学校でボランティアを三つと、娘の高校で役員をしております。お世話になり、お声をかけて下さった方の為にも最善を尽くしたいという願いは常に持っています。事前準備は当たり前ですが、心の持ち方の準備が大切です。傲慢な心に陥らないように。心砕かれ謙虚になれるように。祈りを持って礼拝を守っています。
 ボランティア活動は喜びです。小学生も高校生もその年齢の輝きを放っています。先生も志をもって子ども達に接しており、尊敬してしまいます。ボランティアの仲間はユーモアと賜物に溢れており、沢山の学びが交わりの中にあります。
 活動をしていると色々な事が起こります。その中で、自分の冷酷さ、思慮の浅はかさや愚かさに気付かされます。相手の為に善意でした事がその人を辛い立場に置いてしまう時もあります。その方が優しい人である程やるせなく、自分の存在が辛くなります。時には、「見てしまった(聞いてしまった)ね?」と選択を突きつけられる時もあります。勿論、私の腰はひけております。でも、イエス様の眼差しをそこに感じると逃げられなくなります。イエス様が言われるならしょうがない。私を救って下さったのだから…。イエス様が共に歩いて下さるから…。
未熟な我が身に絶望しながらも、主に祈りつつ歩み始めると不思議と救いの手が差し伸べられます。良い方向へと向かいます。
 「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ローマの信徒への手紙8章28節)
10年間の礼拝から生活の場へと送り出されるという、この繰り返しの中で全てを益となさる神様への信頼感を養っていただいたと確信しております。祈りを持って主と共に歩める事、感謝です。
(すずき みき)

越谷教会月報みつばさ2018年7月号特集
「礼拝の恵みに生きる」より



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