今月の特集題
  聖書を読んで祈って伝道する

イースター




イースターとわたし
清水 泉
  赤い卵、黄色い卵、緑もあった。小さい頃のイースターの光景です。家に持って帰って殻を割っても赤い卵だと殻の割れ目に沿って赤い筋が付いていました。たぶん食紅の赤色102号や黄104号などを使っていたのかもしれない。今あったら絶対手を出さないと思います。
 イースターは受洗した記念でもあります。私は兄と姉がいる三兄弟ですが受洗兄弟でもあります。私が中学二年、姉が高一、兄が高三の時に三人一緒に受けました。
 ちょうど兄がアメリカに留学する前でした。なんだか異国に行くためのお守りのような、クリスチャンというお墨付きを付けたかったという親心だったのではないかと今では思うのです。
 その頃の私たちは父の勧めで「東京都東支区中高生連合修養会」に夏は参加してました。兄と姉が参加出来る頃、私はまだ小学生だったので、二人が帰って来ると「今年の八丈島ではね、テント張ってカレー作って楽しかった」「お祈り中にカレーの上をゴキブリが越えてった!」「え〜!」「お祈り中目開いてたの?」とか、「今年の富士登山に白のスーツで来た神学生がいてね…」などとお土産話を聞くたびに私も今度行きたいと憧れていました。念願かなった中学一年夏。湖畔に張ったテントの中で各分団に分かれてのグループトーク。私のテントではプログラム全体の食事のサポートに入っていた教会婦人の方がグループリーダーで聖書を読み、「受洗」についてお話をしてくれました。何を話してくれたかあまりおぼえてないのですが踏み出せない不安な私の気持ちを汲むように讃美歌第二編【大波のように】をみんなで歌いました。「信仰の浅瀬にいるのではなくもっと沖にでてみなさい。イエス様がいるから大丈夫」そう言われたと思います。翌日の最後のグループトークでは一人ひとりが感想や洗礼について話をして終わりに讃美歌第二編196番「救い主は待っておられる」を賛美しました。ヨナの話や九九匹と一匹の羊の話。たくさん聞いていたとは思うのですがこの讃美歌の歌詞には「待っている人がいる」「こたえなさい」というのです。それに答えないわけにはいかない。背中を押されたように翌年のイースターに受洗しました。父から受洗記念に聖句を受け取りました。「主を恐れることは知識のはじまりである 箴言1・7」この言葉は私の一生の宝です。兄や姉が何を受けたかは確かめていません。とりわけ兄は「受洗」をお守り代わりにそのままアメリカに行き30年近く在住し、名実共に「放蕩息子」になり数年前に帰国しています。
 三人三様の生活ではありますが教会で知り合った両親から生まれた私たちはそれぞれの名前も「聡・恵・泉」と聖書からとり、受洗兄弟でもあるのです。だから今は教会から離れてしまっても信仰があり続けるように祈っているのです。
(しみず いずみ)


心の中の「たまご」
板倉 朋江
 越谷幼稚園に関わらせていただくようになった18年前、イースターは世の中の商戦企画に取り入れられていませんでした。
 先生が「今日はイースターです」と子ども達にお話しをして、ちょっとおシャレになったゆでたまごを一つ一つ渡します。
 私は初めて見るその光景に内心『へーッ!ホーッ!』と驚き、子ども達の表情に見入りました。子ども達はそのゆでたまごを幸せそうに手にして、ニコッとするのです。
 さて、このイースターをテーマにした原稿依頼書を目にしたのは、3月11日の日曜日でした。この日私は映画を観に行こうと決めていました。
 あの震災から7年―。
 今年はこの映画を観る事で私の震災への祈りとしようと思いました。新宿へ向かう道々―あの日私はあんな事が起こるとは思っていなかった。私達はいつも、今、この時が変わりなく続くと思い込み、日々を送ってる―そんな事を思いながら歩いていました。
 映画は「生きる街」。東日本大震災から5年後の石巻が舞台でした。夫を津波で失った千恵子(夏木マリ)とその娘・息子。震災で負ったそれぞれの心の痛手により、三人は別々に暮らしていました。その家族が、傷を抱えながらも前向きに生きる心を取り戻していく話です。
 日常の中では見せないようにしている夫を亡くした悲しみは、真夜中一人でいる時に聴こえる波の音と共に千恵子に押し寄せます。底なし沼に引きずり込まれるような絶望が全身を襲います。
 創り物の世界ですが、東北の人々、いいえあの地震で被害にあった人達一人一人に、千恵子やその周りにいる人達の痛みが残り続けるのだろうと思わされました。それを忘れるのではなく、自分の心のどこかに深く刻みつつ、これからを生きるという事に向かい合い、たどり着こうとする人の笑顔は心の輝きがあふれているのです。
 越谷教会でいただく「たまご」。
 イエス様の受難の時があり復活がある、その事を覚えていただく「たまご」です。
 それを手にした子ども達一人一人の歩む道を思わされるイースターの日です。
 楽しい、嬉しい、悲しい、つらい、本人の気持ちに拘わらず様々な事とそれに伴う感情を経験するでしょう。その時その時を、たとえ笑いを忘れる時があっても、自分をみつめ、信じて歩み続けてほしいと願っています。
 そして越谷教会で「たまご」をいただいた時の笑顔が、一人一人の心に宿り続ける事を、深く祈り続けています。
(いたくら ともえ)

越谷教会月報みつばさ2018年4月号特集
「イースター」より



特 集