今月の特集題
  聖書を読んで祈って伝道する

主が共にいます@




神様に感謝
毛利ちみえ
  主の御名を賛美致します。
 先日は遠い九十九里教会までお出でいただきまして、ありがとうございました。体調のすぐれないなか、申し訳ございませんでした。     
 越谷を出ましてから成田教会、逗子教会へと歩んでまいりましたが、どうしても転会に踏み切ることが出来ませんでした。今回、飯田先生からのお話しもあり、いつまでも教会の中では、自身の席が無いと思い、飯田先生と語り合う間もなく決心させていただきました。
 越谷教会に在籍中は大変お世話になりました。今よりは少し若かったので、動けましたし、教会員の皆様にも良くしていただきました(時折台風の目になったこともありましたが・・・)。それでも許して下さり主のお恵みのなかで豊かにすごすことが出来ました。思い出話しをしますと、越谷教会時代のことばかりになってしまいがちです。信仰の友も与えられ、今も繋がっていられますこと、神様に感謝です。
 そして、イエス様はどんなときもいつも傍に居て下さりこの私を助けて下さいました。全てを終わりにしたい!逃れたい!と幾度も有りましたが、そのたびごとに「みことば」を与えられ、礼拝に押し出されなんとか、今にいたっております。神様は砂粒のような者も見放すことなく生かして下さいました。今の住まいは広い広い空がいつでもあります。少し行くと海ですので、波打ち際をポツポツ歩きながら祈ります。石橋先生がいつか、礼拝で「牧師のこと祈るように」と言われてから、必ず祈らせていただいております。九十九里教会に来て下さると飯田先生からお聞きしました時は、「ヤッター、三十年の結果かー」と思いました。ヘヘヘッー。ありがとうございました。
 不安な日々はもうありません。それは、教会へ行くことが出来る身体を持っていることです。「あと一日二日の命です」と医師から言われたこともありましたが、私は生き延びました(ガハハ!)。私の勝ちではなく、イエス様の勝ちです。「しょうがない助けてやろう」と思われたのですね。
石橋先生にひと言
 お体を大切にして下さい。由美子先生のためにも、六人の可愛いお孫ちゃん達のためにも。教団総会議長としてのお仕事もかなり大変そうですが、ご家族からは大切な、お父様(おじいちゃん)です。
 越谷教会からは転会させていただきましたが、かわりなくお祈りさせて下さい。
 本当にありがとうございました。一日も早く風邪が治りますように。
 2017年11月28日 
      
※石橋牧師へ宛てられたお手紙です。筆者に記載の了解を得ています
(もうり ちみえ)


神様との対話
雲見 昌弘
 仕事を辞めてから5年ほど経った。この間、経験したことは、一昨年5月に脳梗塞を患ったことである。友人から「大病を患ったのだから油断するといけないよ」というアドバイスを多くいただいた。確かに言語障害や乱筆などの後遺症が少し残っており、以前のように出来ないことも多く、精神的に不安定になりイライラすることもあるが、歩行は問題なく、車の運転も夜間は避け、近隣地域に限定しており、問題はないようだ。多くの皆様のお祈りやご配慮に感謝いたします。
 さて、以前に比べ家にいる機会も増えたのでそれなりに生活にも変化が生じている。以前は出かけることが多く自宅で静かに過ごすことは少なかった。しかし今は、朝起きると、まず、「アパルーム」をよむ。ご存知の方も多いと思うが、聖書の箇所を示し、それに関連する個人の思い出や体験などを書き綴った小冊子で、これを毎日英文でよむ。忘れつつある英単語を思い出したり、新しい表現に出くわしたりして学ぶことも多くボケ予防にも良い。また、就職直後に購入した岩波書店の「世界の歴史」も、今まで積ん読になっていたのをひっぱりだして一年ほど前から読み始めた。これは全部で30巻を超える大著で、購入しておきながら、そのうちに、そのうちにと、引き延ばし、全く読まずにごみとして捨ててしまうのがもったいないというケチ心からだ。ただ、専門書に近いので遅々として進まず悪戦苦闘している。ただ、この読書を通じて、より多面的に歴史に接することが出来るようになったと感じる。こういうことを書くと随分知的生活?をしているなと思われる方も多いかと思うが、そういうことは全くない。「アパルーム」を読んだ後はその日のお勧めテレビ番組の録画だ。録画するのは囲碁、ゴルフなどの娯楽番組や「英雄たちの選択」などの歴史ものだ。その後は速歩を午前と午後に30分程度、これがほぼ毎日の生活の基本的なパターンだ。
 歳を重ねてくると、神様と対話する事がふえてきた。ほとんどは、今まで生かし、導いてくださったことへの感謝であるが、元来欲深く、いろいろな願いごとをすることも多い。まだ、大学生の頃、小学校の時にお世話になった教会の牧師を広島の呉に訪ねた。その先生は隠退牧師となり呉で民家を借り一人で生活していた。先生は小生を聖書が積まれた書斎に招き入れ、語り始めた。「昌弘君、ぼくはここで一人住んでいるが、寂しくはないんだよ」。「だって神様と毎日対話しているから」。その時はそんなものかなと思ったが、漸く、その老牧師が静かに語った言葉を素直に受け入れることが出来るようになった。
(くもみ まさひろ)

越谷教会月報みつばさ2018年2月号特集
「主が共にいます@」より



特 集