今月の特集題 聖書を読んで祈って伝道する
教会の出発点
- 特別伝道礼拝&講演会 -
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中井 勇二 |
![]() 明治6年、キリスト教禁制が撤廃され、戸籍改正のとき、八内は八之右衛門、息子の平冶郎は巻と名乗る。明治12年9月、米国人宣教師トマス・ウィンが金沢で伝道を始めた。明治13年4月八之右衛門は洗礼を受け、父を尊敬していた巻も6月に洗礼を受けた。金沢をはじめ北陸は真宗王国の地で、苦難の生活を続けることになった。長尾巻は、明治16年1月、ウィン経営の北陸英和学校神学部に入学する。明治19年4月、大阪に開かれた日本基督教会浪速中会で、伝道者の准允を受ける。なお巻に長子が生まれると、八之右衛門は「十人の子が恵まれる、大事にしなさい」といった。巻夫妻は十干にちなんで、長女甲、次女乙妃、三女丙留、長男丁郎(越谷教会牧師)、次男戊二、三男己(洋画家)、四男庚七、四女辛、五女壬、五男一郎と十人の子どもに恵まれた。長尾巻は殿町教会を牧する傍ら、文書伝道の事務主任を勤める。 ![]() 巻は「自分一代の伝道では物足りないことを痛感していた」ので、長男丁郎氏を神戸神学校に学ばせ、卒業後浪速中会から大垣教会に後任者として迎え自分は休職している。長尾巻65歳のときであった。そして、予てより願っていたミッションの補助を受けない自給伝道のために名古屋に移り住んで、名古屋市広小路に設けられた協同伝道館のために尽力を始めた。 長尾巻について書き足らず申し訳なし。 |
(なかい ゆうじ) |
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豊川 昭夫 |
![]() 越谷教会の出発点は、1884年(明治17年)、グリング宣教師が現在の越谷市新川町で路傍伝道を開始したことより始まった。この事は、越谷教会の百年史でも書かれているのでよく知られている。しかし、グリング宣教師がどのような人物でどのような理由で日本に来たかは、全く知らなかった。 出村先生は、越谷教会百年史を持っておられたが、ネットで購入されたと聞いて驚愕した。私は役員になって最初の奉仕が、この百年史の制作であり、何年もかかって大変苦労して発行した。確か五百部印刷し、全国の主だった教会へも送った。「その内の誰かが売ったのだな、なんという事をするのだ!」と思い、ネットで検索すると、いくつもの教会の年代史が売られているではないか。「うーん越谷教会百年史は売り切れで七十年史は1,940円、A教会1,500円」。「なんか少しだけ嬉しい」と思い下に行くとW教会3,000円、「えっ越谷教会のがよく出来ているだろう」等と呟いてしまった自分が情けなかった。 閑話休題。グリング宣教師は、米国ドイツ改革派教会に属していた。当時米国は、組織化された教会ではなく、巡回伝道者が強烈な回心説教をし、心理的・肉体的な「異常現象」を伴う体験を通して、その場で洗礼を授けるリヴァイバル伝道方策が教勢を伸ばしていった。これに対して改革派教会は、時間をかけて信仰問答教育を重視し、洗礼と聖餐を中心とした教会形成をしていた。正に越谷教会は、現在もそうであるようにこの改革派教会の精神を受け継いでいる。つくづく「あーーグリング宣教師が越谷に来てくれて本当に良かった」と思った。 ![]() ルカによる福音書10章4節で主イエスが弟子達を派遣される時「財布も袋も履物も持っていくな」と命じられた。自分の力ではなく、神の力を信じ、又必要なものは全て神が与えて下さるのではないだろうか。 グリング宣教師の伝道の熱い思いを持ち続ける越谷教会でありたいと思う。 |
(とよかわ あきお) |
越谷教会月報みつばさ2018年1月号特集 「教会の出発点」より |
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