今月の特集題 礼拝の充実を目指して
希 望
浅川 信秀 |
主のみ名を賛美します。新しい年が明け、今年はどんな一年になるかと胸躍らせながら、元日の礼拝に招かれたことは幸いです。新年の最初の説教を、しっかりと聞かねばと意気込んでいたせいか自然と背中がピンと伸び、我ながら模範的な姿勢です。これなら、石橋先生の一言一句を聞き漏らさず、さぞかし実のある礼拝となるに違いありません。が、本当はいやでもピンとせざるを得なかったのです。 実は、年末にトランポリンの施設に行ってきました。レジャー施設ですが、本格的なトランポリンがいくつもあり、冬休みということで中高生が大勢遊びに来ていました。中には、体操のジムに通っているであろう小学生や、チアリーディングをやっていると思われる女子大生が、バク転やバク宙の練習などもしていました。普段から木登りやかけっこなど、とにかく遊ぶのが大好きな自分が、大人しくしているはずもなく、さっそくピョンピョン。ところがです!やってみると、これが思いの外きついのです。3分で交代する決まりなのですが、この3分だけでも、かなりのハードワーク。あっという間に、太ももはパンパン、息はゼイゼイ。頭の中では、体操の内村選手のように、くるんピョン、くるんピョンと跳んでいるはずなのですが。 悔しいので、少し休んで2回目。初めてとはいえ、多少は体操の心得もありましたので、前宙(前回り一回転)くらいは成し遂げたいところ。何とか、それっぽく回れたところで時間切れ。さぁて、次つぎ!と思ったのですが、どうにも身体が動きません。そうです、僕もしっかり中年の仲間入りを果たしていたんですね。そうかぁ、老いていくというのはこういう事かと妙に納得した瞬間でした。 何となく、寂しい気もしましたが、休みながら周りを見渡すと、中高生が実に楽しそうに飛び跳ねていました。その笑顔がとても無邪気で、本当に楽しそうなのです。普段、僕が目にしている幼稚園児たちと同じようなあどけない笑顔をしているのです。そんな姿を見ていたら、なんだか訳もなく嬉しくなってきて、もはや自分が上手く跳べるようになりたい!という想いよりも、すっかりその姿に見入ってしまいました。そういえば自分が彼ら位の頃も、何かに夢中になっている自分を、微笑みながら見守っていた大人の目があった事をふと思い出します。その頃は、全く気付きもしませんでしたが、できる・できないではなく、別のところにも楽しみや、満足があるのだという事かもしれません。負けず嫌いで、とにかく突っ走ってしまう自分でしたが、そろそろ次の章に入ったのかもしれません。 日ごろ目にしている子どもたちも、一緒に遊ぶ時はもちろんですが、見ているだけでも十分に楽しく幸せな時を与えてくれます。できる・できないに関わらず、それぞれの笑顔に、それぞれの価値があり、それは知らない間に周囲の人への希望となっているのでしょう。神さまが、そういう優しい眼差しで見守って下さっている事が幸せであり、その眼差しは、希望となります。 さて、元日礼拝。そんな眼差しを感じつつ、単なる腰痛・筋肉痛で曲げられなかった背筋。神さまが、ほどほどになと苦笑いしているようでした。 |
(あさかわ のぶひで) |
荻田久次郎 |
GIDEON誌に掲載された日本キリスト改革派K教会Fさんの証を紹介致します。 1999年9月の出会い― 私の通っていた高校の校門で、朝、雨の中、生徒に本を配っている方がいました。私も、自転車で傘をさして校門を通過する生徒の一人でした。15歳、ごく普通の家庭で育ち、家族にはクリスチャンはおらず、聖書は見たことも、読んだことも有りませんでした。校門に立つ人が本を手渡してくれましたので、抵抗なくすっと受け取りました。その日から、私の枕元には聖書がずっとありました。友達とけんかした日の夜、親に反抗してイライラしていた時、将来の事を考えた時、何故かその聖書を手に取り『折にかなう助け』という目次からページを開いてみましたが意味は分りませんでした。不思議ですが、読むと心が落ち着いたのを覚えています。 2012年1月12日の出会い― 聖書との出会いが神様との出会いに変えられました。3歳の長女は、数週間高熱が続き、川崎病という病気で入院をしました。腸閉そくとインフルエンザも併発し絶飲食で点滴に繋がれ、嘔吐を繰り返し、ぐったりしている娘を前に、なにもしてあげられませんでした。でも、やはり聖書だけは手元にあり、「神様、神様、助けて下さい」と繰り返していました。 病状も良くならず医師からも「血液製剤の投与も効果が無かったようですね」と言われ、私はショックを感じ聖書を握りしめ、病室の床にうずくまり神様を何度も呼びました。その時に僅かな希望を持って、聖書の最後のページを開き『キリストを私の救い主として受け入れる』私の決意と氏名と日付を書き入れました。 なんと、神様はその2時間後に一瞬にして、娘の病気を取り去って下さいました。病室に戻ってきた医師も「さっきまでの症状が何かの間違いでは」と漏らしました。目を覚ました娘は、暫くぶりに声を出し、小さな声で「夢に神様が来てくださったの」と話してくれました。15歳の時私に聖書を下さり、娘を癒してくださった神様の御計画、それを聖書を通して伝えてくださったギデオンの方に心から感謝致します。」 ギデオンでは信徒の皆さまにギデオン活動に参加され共に人々をイエス・キリストの救いに導かれます様にご奉仕いただければと願っています。また直接ギデオンに参加されなくとも、新しいサポータ制度のギデオンフレンズにご入会頂ければ例会や活動ではなくキリストの伝道の一端を負う事が出来るのです。希望を捨てないで忍耐を持って神様の業の為に共に走り続けて行こうではありませんか。ハレルヤ |
(おぎた きゅうじろう) |
越谷教会月報みつばさ2017年1月号特集 「希望」より |