今月の特集題 礼拝の充実を目指して
礼拝の恵みに与かる
関口 幸子 |
みつばさからの原稿依頼で苦闘していた時、ヨブ記の説教の中で先生は「礼拝は救いに与かる」事です。とサラッと言われました。そうでした。礼拝とは「神さまと出会う場所」であり、それは「神様の御子イエスが私たちの罪を赦すために十字架で死んで下さった」事を知る場所なのです。 神様はいつも私たちに「あなたは、今どこにいるのか」と捜していて下さいます。すぐ道に迷ってしまう私たちに「あなたの救いはここにある。ここにしかない」という事を教えて下さる、それが礼拝なのです。 自分に固執して考えこんでしまう私に、また病気や困難の中にあるあなたに「あなたは救われている」と言う事を確信させてくれる所、それが礼拝なのです。身構えなくていい、ありのままの私であり、あなたでいいのです。 私がこう言えるのは星野富弘さんの詩画集で見つけた短い詩が背中を押してくれたからです。 「くるしくてどうしようもない時 いつもうかんでくることばがあった 神さまがいるんだものなんとかなるさ そしていつも なんとかなった」 あれほどの困難を抱えて生きている星野さんがそう言うのです。「神さまって凄い」委ねている星野さんも凄い、と思いました。いつも何とかなった、のです。 今年も誕生日に「アンスリュウム」の鉢植えが届きました。「そんな素敵な人がいるの?」と聞かれました。そうなんです。定年前に勤めていた職場の女性が毎年送ってくれるのです。「去年の鉢植えがまだ元気よ」と言ったのですが「そばにいたいからだよ!」と言って、また今年も送ってくれました。 私の誕生日はいろんな形で祝われています。隣人を通して、教会の誕生者会を通して、ひとつひとつの事を通して神様が訪れ、共にいて下さることを私が追体験するためでしょう。 この世には人を楽しませる事がたくさんあります。でもそれは一瞬の出来事です。永遠に変わらないものに気付く、自分の人生にとって、かけがえのない事は何かを知る、それは「礼拝の恵みに与かる」事によって見えてくるのではないでしょうか。 |
(せきぐち ゆきこ) |
御園生和美 |
小学生の教会学校と夕礼拝で奏楽をさせていただき、今年で4年目になります。いつも皆様には温かいお見守りをいただいており、改めましてお礼を申し上げます。 夕礼拝が終わって帰宅するとき、司会や当番のご奉仕をされている山中様から「家族で礼拝を守る恵みが後になってきっと来ますよ」とお励ましの言葉をかけていただきました。私の送迎もあり、家族で出席しています。神様に感謝、越谷教会の方々に感謝し、家族にも感謝しています。 私は4歳のとき、音楽教室に通い始めました。母が赤ちゃんの妹をおぶって、教室まで10分程一緒に歩いたのを覚えています。小学4年生の夏、家にピアノが来たときの嬉しさは、今でも忘れられません。しばらくはピアノに夢中の日々でした。(そのピアノは、いまも我が家に健在です) けれども、練習曲が難しくなっていくにつれて、情けないのですが私は段々と練習をしなくなってしまいます。中学になってからはピアノを離れていた時期もありました。そして高校の頃には、弾く曲は練習曲のクラシックでなくなって、弾くのも聴くのもポップスばかりという青春時代を過ごしました。 大人になって、クリスチャンの方と知り合い、その方からピアノの先生を紹介していただいて、またピアノを習い始めました。遠ざかっていたクラシックが新鮮に聞こえ、一からの練習です。 練習をしていく中で、自分で目標を見つけ、講師の資格を取り、楽器店の講師や出張レッスンをするようになりました。発表会では講師演奏も行いました。そうして、私は自宅で小さな教室を開きました。子どもから大人までの生徒さんとの出会いがありました。 息子が越谷幼稚園に入園して、私の人生に大きな転機が訪れます。息子は元気に通ううちに讃美歌を覚えてきて、家で大きな声で歌うようになりました(ちょっと違う歌詞でしたが・・・)。息子の送迎をしながら、後ろの席で礼拝を守る事が多くなり、こども讃美歌との出会いがありました。 讃美歌を元気な声で歌う子どもたちに心をひかれ、先生方の説教をお伺いしていたある日、棚橋副牧師より夕礼拝の奏楽の話を頂戴しました。併せて教会学校の奏楽もお声をかけていただきました。こうして、棚橋先生や教会の方々のご指導をいただきつつ、皆様の力強い歌声を受けながら、礼拝の恵みに与る現在に至りました。 年の離れたピアノを通じてのお友達が、「ピアノを弾く事は、父が与えてくれた道なの」と話してくれたことがあります。私も天のお父様が与えて下さった道を、両手を振って、元気に歩いて参りたいと思います。 |
(みそのう かづみ) |
越谷教会月報みつばさ2016年7月号特集 「礼拝の恵みに与かる」より |