今月の特集題
  礼拝の充実を目指して

祈って聖書を読んで礼拝へ





長期在籍感謝の辞
乙部栄次郎
 この度は、私の転会のお願いをご承知下さりありがとうございました。
 石橋先生より転会する前に「みつばさ」紙に原稿を提出するようにとのご指示があったとのことですので、先ずは紙面をお借りして至らぬ者を長年に亘り主に在ってご指導とお交わり頂きましたことを心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。
 さて、私は戦前軍国少年として育ち19歳で兵役に服し、終戦の一年後に中国から復員しましたが、敗戦のショックで自堕落になっていたとき叔父が読めと貸してくれた聖書を読まされ、はじめて真の神を知らされ、27歳の時キリストを信じて洗礼を受けました。越谷へは36歳の時転居して越谷教会の会員となり長尾丁郎牧師による役員任職式で初めて教会役員に任じられたのは41歳の時でした。それから50年後の今日91歳まで半世紀を越谷教会に在籍させていただきました。
 その間ご指導に与った長尾丁郎牧師、石垣武治牧師、勇智勝牧師、小海寅之助牧師、山崎ハコネ牧師、鎌田康子牧師の先生方に深甚の感謝を憶えています。
 石橋先生には、私が会社を定年退職した際ギデオン協会への入会をご推挙頂き、ギデオンマンとして学校を訪問し学生に聖書を贈呈「教会の腕」として福音伝道の一端を体験する機会を与えられ感謝でした。
 今から十年前、81歳の時私は老夫婦二人だけの生活を案じて住み慣れた越谷から草加のキングス・ガーデンという施設の「ケアホーム」に転居していますが、その当時はまだ脚力に自信がありましたので教会を転会することまでは考えていませんでした。ところが、何時とはなしに足に痛みを覚えるようになり原因は経年による膝関節の劣化ということで、早い話老化現象で年齢からおして回復は難しいようです。
 今回石橋先生に転籍のお願いを申し出たところ「越谷教会の『ぬし』がいなくなるようだネ」と申されてしまいました。私とて長年慣れ親しんで頂いた越谷教会の兄姉方とお別れしなければならないのが、一番心残りに思っています。しかし主に在る交わりは例え転会しても切れることはないと信じていますのでどうぞこれからも宜しくお願い致します。
 転会すると礼拝の様式をはじめ教会行事の在りかたが越谷教会とは微妙に異なるのはやむをえないと思いますが、「信仰は一つ」ですから例え新参者であっても越谷教会からの転会者として確かな信仰生活を励みたいと願っております。どうぞお祈りください。
 「主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一である」
  (エフェソの信徒への手紙4章5節)
 主の祝福が越谷教会と石橋先生のお働きの上に豊かにあります様祈ります。
(おとべ えいじろう)


羅針の上
新開 貴典
 「祈り」には私たちの想像を超えた力が有る。それは古人のみ言葉にある通り、苦境に陥った折り、贖い聞き御叶え下さる神の御掌の中を生かされ、導として常に寄り添いいるかのように。
 信仰の浅い私ではあるが、越谷教会の礼拝・祈祷会に於いて神と対峙させられる瞬間が在る。言わずもがな、礼拝は一週の歩みを押し出す生命の糧である。その礼拝の源泉となり、教会員の御一人御一人を深く祈るのが毎週木曜の祈祷会である。現世にあり、教会の兄弟姉妹と賛美を共にし、祈りを神へ御捧げ出来る聖日毎の礼拝へ列席をさせて頂ける事は幸いだ。三十代半までそれらの恵を知らず過ごしてきた私には、週毎の定時刻に神の御座へ伏し、天の彼方に祈りを昇華させられる行いだけですらとても有り難い。牧師先生及び教会員皆様の御厚意により、十二の歳月を保ち越谷教会聖書研究祈祷会へ列席をさせて頂いた。み言葉を深く学び、個々に祈りを捧げられる会へ参加を果たせられるのも、残念ではあるが条件を選ぶ。おおよそ空間を囲むようにして、真中に主イエスを描き祈りを共にする。神へ対し祈りを捧げるのである以上、名称や事実は間違えられない。少しよこしまな考えもあり、滑舌よく奥行の深い祈りらしきを陳べた節の自己満足などに驕り、主の御目にそぐわない私の祈祷会での所業でもあった。
 転居をし、勤務時間の合わない今でも祈祷会に倣い家庭に於いて夕食の前に主イエ
スを囲み祈り居る自分が在る。以前のように教会の兄弟姉妹の個々を深く祈ると云うお役目は適えられないが、ほんのミニマム規模でのお祈りをささやかながら御捧げし、生かされて生きられる一日に感謝を述べる。その際に、主の祈りは欠かせない。畢竟いたるに、「主の祈りは要約されていてそれだけで良い」と、祈祷会に御列席なされている長老はお話になられた。マタイによる福音書六章五節より十四節にも示される通り、願う前から、私たちの必要な諸々を御知りになられ聖霊様と共に御導き下さる。
 エフェソの信徒への手紙三章九節〜ふと、天地創造の頃より、主イエスが十字架につけられ召天をされ今日に及ぶ迄、此の世にある凡ての出来事や個人個人の所作などが主の操る羅針の上で定められているのではと錯覚することがある。ヘブライ人への手紙十二章十一節〜私の信仰生活はまだまだ続く。得てして主イエスを心の核として委ねることのできた十二年間を私は幸いに思う。普段は何気なく通う教会ではあるが人生の禍ごとに際し、これほど心勁い信仰は無いであろう。終路を共にする教会の兄弟姉妹と賛美を捧げ祈り合う事が叶うのだから。
 然うして、石橋牧師、棚橋副牧師、教会に連なる兄弟姉妹の篤い祈りに支えられ、父御子御霊の三位により生かされる日々に感謝を致す次第である。      
(しんかい たかのり)

越谷教会月報みつばさ2016年6月号特集
「祈って聖書を読んで礼拝へ」より



特 集