今月の特集題
  主は生きておられる

さぁ、出て行こう





蕾
清水 義尋
 空が白みはじめたとある日の朝、新生活に必要な荷物と全く想像できない未来への不安を抱えて自宅と駅を繋ぐ並木道を歩く。夜明けの静けさと澄んだ空気が心地よく、花開いた桜の木は伏し目がちな私の視線を上向かせる。ぼんやりと眺めていると、ほぼ満開に近い花々のあいだで、周囲に遅れてマイペースを貫く蕾が目に留まる。
 冬は既に終わっているのに一体何をしているのか。うじうじしていないで早く咲けばよいのに。そのような想いが湧いてくる。
 また、どうやら自分もこの蕾と同じなのではないかという考えが頭に浮かぶ。
 私が東京神学大学を受験したのは牧師になる決心をしたからではない。ましてや神様のみことばをひとりでも多くの人に伝えたいなどという、献身する者として持っていなければならない志はほとんどない。
 しかし、少なくとも、私が教会に引き戻されてから今日に至るまで、神様と自分を切り離して考えることはなかったこと、また、自分の職業を決める上で、牧師とそれ以外という二択でつまずいていた事実に気がついたとき、東神大を無視して自分の将来を決めることはできないのだと悟った。なので、自分の正直な想いを伝えること、そして、その結果得られる答えに従って生きるために受験をする決心だけはしようと自分に言い聞かせて門を叩いたのだ。
 おかしな話ではあるが、結果が不合格であれば安心して信徒として生きることができるから、気持ちを切り替えて他の仕事を探そうと考えていた。そのような私が入学を許されたのは、恐らく特に出来が悪く、危うい我が子を、なるべく自分の近くに置いておこうとする主なる神の愛情なのだろうと勝手に解釈している。
 神に仕える者になるという自覚はない。それは立場上問題ではないのかとも思うのだが、今は救われていることに感謝し、聖書の勉強を精一杯楽しんでゆきたいと思っている。
 普段と景色の異なる寝室のベッドで目を閉じて眠る前に、あの強情な蕾はもう咲いたのだろうかと考えてみる。小さな蕾が少しずつ開き、陽の光を浴びて外の空気に触れる。特別な美しさはない。小さな花だ。しかし、それはひとつの大きな木の幹に繋がっているからこそ咲くのだ。ようやく開いた花は誰かが写した写真の片隅に桃色の粒として残り、その写真に写る笑顔を引き立てる役割の一部を担うことになるのかもしれない。
 私自身も大きな幹に繋がっているのだと信じているが、もしかすると蕾のまま春を終える場合もあるのではないか。そんなことを考えてしまう不信仰な私を神様が許してくれますように。また、駄目な私がほんの少しでも、神様の役に立ちますように。
(しみず よしひろ)


母を送って
S.N
 「我にまだ母あることの喜びと切なさに降る晩秋の雨」歌人山本かね子氏の一首です。昨年秋、関西の実家の母が天寿を全うして旅立ちました。私事で恐縮ですが、母のことを少し述べさせて下さい。
 冒頭の歌は新聞紙上で見つけて以来、まさに我が想いと共感し、反芻してきた一首です。古い話になりますが、仲人口に乗せられて見合い結婚した母が、父には常に複数の女性の影があることに気付いたのは半年ほど過ぎた頃だったそうで、「どうしてすぐ別れなかったの?」と尋ねた高校生の私に「その時はもうあんたがお腹にいたのよ」と。がーん、と責任を感じてしまいました。
 それ以来どうも私は、母のことは自分がなんとか幸せにしなければ、と思い込んでしまったようです。その後二十歳になった時にもう一度「私が働いてお母さんを養うからあんなお父さんとはもう離婚して」と頼んだ時の母の答えは「何を言うの!妻であることは私の唯一の武器よ。本妻の座は明け渡したらすぐに誰かが代わりに座ってそれでおしまいよ」と。本妻とかお妾さんとか言う言葉がまだ使われていた時代でした。母はその「唯一の武器」を手放すことなく戦い続け、父と添い遂げ、最期を看取りました。妻として女性として辛い事ばかりの年月に耐え抜いた見事な人生だったとつくづく思います。
 そんな母の晩年を支えたくて「どうか最期まで母の面倒を見させてください」と祈りながら必死で関西へ通いました。正直しんどい時もありましたが神様は一番良いようにして下さると信じた通り、振り返ると必要なことはすべてさせて頂けて、悲しさの中にも感謝と安堵に満たされて母を送ることが出来ました。
 娘としての役割がこれで終わりました。
 さあ、これからは今までおろそかにしていた教会生活を大切にしなければ、と思った矢先、1月から木曜昼の聖書研究祈祷会が再開され、飛びつく想いで出席しています。聖研と主日説教とニ回同じ聖書箇所を学びますと、ぼんやり頭の私でもみことばがより深く心に染みこんでくるようで、毎回ワクワクします。このゆたかで大きな恵みをどうかお一人でも多くの方に受けて頂けたら、と切に願うものです。
 時は春、さあ、前へ前へ出て行きましょう。
 それにしても「みつばさ」の原稿依頼は、どうして私がホッと一息ついているこの時を逃さず来るのだろう?油断大敵?いや、やはり「神様のみわざ」だから・・・ですね!ハレルヤ!
      
(S.N)

越谷教会月報みつばさ2016年4月号特集
「さぁ、出て行こう」より



特 集