今月の特集題
  主は生きておられる

この年も主が共に





神さま・イエス様に感謝しながら
正木 敬徳
 一昨年の12月20日から始めた折り畳み式の自転車での朝の走行が12月21日で合計1770qになりました。一回12qを45分くらいかけて走ります。プールで泳ぐときバタ足が弱く同僚から追いまくられてしまいます。それで足を鍛えようと思い立ち始めたものです。ネットで調べたら鹿児島まで1550qなので1770qは沖縄まで走った距離と同じと出ました。
 1qを平均3分44秒で走っています。マラソンの選手は5qを15分で走りますから1qを3分です。とても敵いません。どんなにマラソンの選手が速いかわかります。木曜日と日曜日を除いて、6時起床、血圧を測って出発します。行程は産業道路にかかる「しらこばと橋」のたもとの自宅を6時半ころ出発します。
 越谷市役所横の元荒川の中土手を御殿町の教会に向けて走ります。教会の手前を元荒川沿いに入ります。桜の古木の道、「越ケ谷御殿跡」の石柱を左に見て高元建設の社屋前をUターンして、また中土手に戻ります。
 このころ、登山帽をかぶり指笛を高らかに吹いて、軽やかに歩む山中律子姉に出会います。ハーイ!とハイタッチしてすれ違います。瓦曽根堰の小広場で「笑いヨガ」が開かれています。姉はこのヨガに参加をしたうえで、ご自分が学んだ骨ストレッチを参加者に教えているのだそうです。私はこの「笑いヨガ」を右手に見て、中井勇二兄の自宅の後ろを通って不動橋に向かいます。旧大相模村の屋敷林の家々の後ろを通って、東埼玉道路の下を通過、越谷と吉川の境となる中島橋に向かいます。ここまで約7qです。右手の奥のほうにレイクタウンの駅があり、その前の調整池の噴水あたりが23歳までいた生家です。
 欲望に負けて大きな罪、小さな罪を重ねてきた私です。今日このように健康に朝を迎えられ自転車を踏ん張れていることを神様に感謝してお祈りします。不出来な息子がつつがなく成長するように、母が、毎朝祈ってくれていたであろうことを確信します。そして、「その祈りを神様が受け止めてくださり、ひとり子イエス様を十字架に架けられ、人々の罪を贖ってくださった」 その人々の一人に私を加えて頂いたことに、思いをはせ感謝をします。そして、家族や友人の健康を祈ります。
 自転車の踏ん張りを続けます。中島橋をUターンして増林側の元荒川沿いを北上します。自転車にとって冬の北風はとても苦しく敵です。東には筑波山、西には富士山、北には上毛の山々が見えます。南埼玉病院を通過し、越谷東高、東中学校を抜けて、元荒川の西側の土手に出ます。もう家までは2qです。中島橋の辺りは越谷ネギの多く取れるところで、道路の両岸からネギの香りがしてきます。中心が見事に黄色くなった山東菜(白菜)を農家のご夫婦が収穫しています。土手の斜面には水仙がもう咲いています。住宅の庭にはキンカン、ミカン、夏みかんが熟しています。取り残したカキの実を小鳥がついばんでいます。皇帝ダリア、山茶花が今日も見えます。
(まさき よしのり)


私とバッハの音楽
北角 嘉徳
 私は、私の兄が4歳からピアノを習っていた影響もあり、小学校6年生からフルートを始めました。練習は簡単なエチュードから始まりましたが、次第に難易度が上がっていき、中学生の頃にはヨハン・ゼバスティアン・バッハ(以下バッハ)のフルートソナタも習っていました。私は高校に入ると、室内楽部(=弦楽合奏団)という部活に入りました。当時室内楽部の主要な演奏会は、年一回学内で催される文化祭、そして埼玉会館で行う演奏会でした。私は高校の3年間、弦楽合奏団の一人として、また弦楽合奏団の伴奏でフルート独奏の曲を演奏する機会を得ました。具体的にはバッハの管弦楽組曲2番ロ短調(フルート協奏曲のような編成の曲で、とても趣深い曲です)、ブランデンブルク協奏曲5番ニ長調(独奏はフルート、ヴァイオリン、チェンバロで、とても典雅な曲です)など演奏しました。バッハ以外にもヨハン・クリティアン・バッハやヨハン・ヨアヒム・クヴァンツのフルート協奏曲、テレマンのフルートソナタなどの演奏もしました。
 さて、バッハは生涯に1000曲以上の作品を残しました。その多くは、ロ短調ミサ曲・マタイ受難曲・多くのカンタータなどの宗教曲でした。またバッハは一部の世俗カンタータや、声楽によらない多くの世俗曲も残しています。バッハの時代は、多くの音楽家が教会に所属していましたが、バッハは32歳となった1717にドイツの地方都市ケーテンに移り、約5年間アンハルト=ケーテン侯国の宮廷楽長となりました。教会ではなく宮廷所属となったバッハはそこで多くの世俗曲を書きました。ケーテンで書かれた世俗曲はきら星のように輝く曲群です。6つのブランデンブルク協奏曲、4つの管弦楽組曲、無伴奏ヴァイオリンのための6つのソナタとパルティータ、また無伴奏チェロのための6つの組曲などをバッハは次々と作曲しました。
ご存知の通り、いわゆるクラシックとよばれる音楽はその作曲された時期からバロック・古典派・ロマン派・近現代に分かれます。バッハは間違いなくバロック時期の作曲家なのですが、バロック音楽では片づけられない要素があります。例えば彼のチェンバロ独奏用の半音階的幻想曲とフーガを聞くと強い衝撃を受けます。後半のフーガに至らなくとも、前半のファンタジーで、私はある確信に至ります。この曲はロマン派の音楽を先取りしている、あるいはロマン派の音楽を超越している進取の気性のある音楽だということを。バロックの時代にはテレマン・ヘンデル・ヴィヴァルディなど偉大な作曲家達はいますが、やはりバッハは違うのです。また私が感じるバッハの(世俗曲ですが)、崇高な曲として、次のような曲が挙げられます。
 管弦楽組曲ニ長調の第二楽章 アリア
 フルートソナタロ短調の第二楽章 ラルゴ・エ・ドルチェ
 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータニ短調の最終楽章 シャコンヌ
 無伴奏チェロのための6つのチェロ組曲のすべてのサラバンド楽章
 これらを聞くと、この世には音楽の神様が存在し、その神様がバッハをして音楽を人々に語らしめたと思わざるを得ないと感じます。
 バッハの音楽は私の人生に、豊かさ・彩りを与えてくれましたし、今からも与えてくれると思っています。
(きたずみ よしのり)


越谷教会月報みつばさ2016年1月号特集
「この年も主が共に」より



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