今月の特集題
  主は生きておられる

メシア誕生の喜び





クリスマスをお祝いする
田口 則彰
 月日の経つのは早いもので、私が昨年のクリスマス礼拝で洗礼を受けてからもうすぐ一年が経とうとしております。今回みつばさの原稿を書く機会を頂けました事感謝申し上げます。
特集題の「メシア誕生の喜び」ということを自分なりに考えて見ました。私が聖書に接し始めた頃、社会人になり家庭を持ち聖書を一人だけで読んでいた頃、教会に行くようになった頃、洗礼を受けた後で、イエス様の誕生の喜びの感じ方が大きく変わっていったのが分かりました。
 聖書を読み始めた頃は、聖書をイエス様の伝記の様に思うだけでした。クリスマスもケーキを食べたり、プレゼントをあげたりするだけの日でした。その後社会人になり、家庭も持ち、色々な困難に遭う度に、自分が如何に駄目で嫌な人間であるのかを知りました。
その様な思いの中、心のよりどころ、救いを求めて聖書をあらためて読み返したところ、イエス様の生涯が如何に誠実だったか、その素晴らしさに感動するようになりました。
その頃だったと思いますが、妻に「キリスト教を信じているの?」と聞かれた事がありました。私は「世の中広いのだから本当に誠実で信頼出来る人が一人くらいはいるんじゃないか…否いて欲しいと思っていて、それがイエス様なんじゃないかと思っている。イエス様が神様かどうかは分からないけど、その誠実な人が人々の身代りになったというのなら信じてみたい」と答えたと思います。
そして聖書を読み進めていくうちに「イエス様こそ救い主であって欲しい」という強い願いに変わり、教会に通う様になりました。ただし、まだ自分中心の願い事を叶えてくれる救い主を求めるだけでした。
 教会に行ってより深くイエス様を知るようになり、救い主として人間となって世に下ってきたイエス様に感謝の気持ちが芽生え、喜びを感じ始めました。しかしイエス様を知れば知るほど、おいたわしやと思う気持ちが強くなり、自分の罪の深さに心苦しくなりました。復活を信じることが出来ないことで喘いでいたのだと思います。しかし洗礼を受けてから次第にイエス様の復活を信じることが出来るようになり、おいたわしやの気持ちから、感謝の気持ちへと変わっていきました。父なる神様に対して本当に誠実で、信頼していたイエス様なら、復活するのは当然で、何を疑う必要があるのだろうと、今では思えるようになりました。復活という救いが分かる事でメシアの誕生を心から喜べるようになりました。
 今年は家族を連れてキャンドルサービスでクリスマスをお祝いして、感謝と喜びを神様にお伝えしたいと思います。
(たぐち のりあき)


待ち合わせは天国で
小林 明子
 膝が痛い、などとこぼしながらも家に遊びにきてくれたり、古典の講座に出かけたりと老後を楽しんでいた義母が、体調不良を訴えて施設に入ったのはまだ寒い三月のことでした。つき添った主人が帰宅してほどなく、これまで経験したこともない大きな地震が……。未曽有の災害、東日本大震災でした。私たち夫婦には二重の意味で忘れがたい日となったのです。
 健啖家で体格のよかった義母が、しだいにやせて小さくなっていくのを見るのはつらいものでした。施設までの見舞いの道が遠かったのは、切なさに比例していたのかな……。
 ベッドの上で険しい表情で「苦しい苦しい」と訴える義母。ある日、なす術もなくどうしていいかわからず追いつめられた私は、「おかあさん、神さまにお祈りします。神さまがおかあさんのそばにいてくれますように!!」そしておでこにキスまで。
 義母は驚いたように大きく目を見開いて、そのまま黙ってしまいました。
 義母は三十代のころ狛江教会(当時は伝道所)で洗礼を受けたクリスチャンです。「狛江教会で洗礼を受けたのは、私が第一号なのよ」と笑っていました。
 けれども、どのような思いで神さまを求め教会に導かれたのかを義母が語ることはありませんでした。懊悩輾転の記憶を深く沈めて蓋をしてしまったかのようでした。
 そんな義母に、神さまにお祈りしますなどと言ってしまった私。教会にも行っていない私のお祈りが神さまに届くとも思えず、義母に嘘をついてしまったようなうしろめたさでいっぱいでした。
 義母が九十二年の人生を閉じたのは、一昨年の風薫る五月の朝でした。義母の表情はおだやかで、晴れ晴れとさえしていて、義母の魂が喜びいさんで神さまのもとに翔んでいったのが見えるようでした。
 今でこそ高齢による体調不良のせいだと理解できますが、晩年の義母は気むづかしく、私と心のゆき違いがありました。けれども主人から、「私のことは明子さんが看てくれる」と義母が言っていたと聞き、とても嬉しく思いました。
 そう。義母が元気なころ、私はしょっちゅう手紙を書き、おしゃべりに興じたものです。遊びにきてくれた義母と女子トークに夢中になり、台所で鍋が焦げていたことも……。楽しかった思い出の数々がつらい記憶を遠くに押しやりつつあります。
 信仰告白をして、まもなく一年になります。これで義母に会えます。
 おかあさん。また会いましょう。待ち合わせは天国の神さまのところでね。
(こばやし めいこ)


越谷教会月報みつばさ2015年12月号特集
「メシア誕生の喜び」より



特 集