今月の特集題 心新たにされて
榎本喜美夫 |
与えられたテーマ(新年の抱負も?)を教会員として受け止めれば、当然信仰に関する考えを述べるようにと理解しますが。定年後の人生をどう歩むかという転換期において、一人ではなく導かれたという観点を思い出しながら述べることご容赦下さい。「毎日が日曜日」となる日々の歩みの方向付けは重大なテーマでした。読書とか散歩、旅行などが脳裏に浮かびますが、趣味だけで日々を過ごすことはできない相談です。退職が視野に入ったころから漠然と頭に思い浮かべるようになりました。朝起きたときに今日はなにをするか考えることのないよう、考え方の軟着陸模索です。 教会生活中心に回っていたとは言えない現役時代でしたが、中心に据えなければと反省しました。そこで三つの目標をたてました。1、毎日聖書を読むこと(以来聖書日読ノートを作成、5章ずつ読了個所を記入。旧・新約聖書を毎日は難しいのでとにかく旧約から始めて、終わったら新約聖書。また旧約→新約→旧約・・・の繰り返し) 2、健康保持のためウォーキングを日々。足腰の衰えは心身へ影響が大ですから、自分で立ち居振舞いができることを鍛錬しておかないと、という不安に対する具体策です。歩きか自転車が基本で、コースは決めません。かのカント先生は毎日同じ時間に同じコースを散歩したそうで、周辺の人々はそれで時間を知ったとか。そんな几帳面さはどだい無理ですから、歩数も時間も自由自在。ただ自分を納得させるために歩く理由づけをします。つまり本を買いにゆく、はがきを出しにゆく・・・同時に複数の物事を片づけるようにはしません。ただ歩いているのではない、という自己満足ですが。 3つ目は三日も保ちませんでした。若い頃英文タイプが自由に打てるようになり、両手を使うのだからピアノも弾けるようになるだろうと。それで個人レッスンを2年ほど受けましたが、ものになりませんでした。定年を機にその復活を試みたのですがこれは完全に失敗。音楽の楽しみはNHKのFMでクラシックを聴く程度です。 聖書に教えられる内容が最後になりました。「そうだ、そうだ」と頷かされる教えの一つです。旧約聖書コヘレトの言葉に「かつて起こったことは、これからも起こる。太陽の下、新しいものは何ひとつない。」(1章9節)「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。」(3章11節)。歴史に学ぶということはそういうことでしょう。数千年の歴史と数知れない人類が歩んできた中で、自分の生きている時代に初めてということはほとんどないことを知らされれば、日々くよくよ悩むことが少なくなるかなと、これまた自己流の解釈なのですが・・・。 |
(えのもと きみお) |
越谷教会月報みつばさ2015年1月号特集「心新たにされて」より |