今月の特集題  クリスマス



贈り物
岡崎 直子
 「よく来たわね。さあ、こちらへどうぞ」中村眞砂子先生が、満面の笑みで、迎えてくださった。十四年前のイヴ礼拝に、母に一歳の息子を見てもらい、ぎりぎり間に合った。諸貫先生の率いる聖歌隊の声が、越谷幼稚園のホールに透き通る様に、響き渡っていた。ろうそくの灯が、聖歌隊の方たちの顔を照らして幻想的だった。
 次の年のクリスマスは、江原二三子さんの伴奏をさせて頂いた。その次の年は、もう少し、多くの曲を演奏させていただいた。それから、毎年イヴ礼拝の奏楽をさせて頂き、用いられて感謝である。越谷教会には、多くの優秀な奏楽者がおられ、私でなくても十分に、出来るはずなので大変恐縮である。せっかく演奏をさせていただくのだから、何とか上手く弾かなければと練習をする。毎年、ほとんど同じ讃美歌で、つまらないと思うのだが、一年間、他の様々な曲で稽古を積んで、その締めくくりにイヴ礼拝で発揮することを目標にしている。特に、ミニコンサートは、自分にとってチャレンジの曲を選んでいる。ある年のイヴの何週間か前に「曲が仕上がらないので、変えても良いですか?」と清水さんに相談したところ、「岡崎さんなら、出来ると私は信じています」と言われた。さすが、学校の教師は、人をやる気にさせるのが上手だ。
 イヴ当日は、早目に着くようにして、川田さんの豪華な牡蠣御飯を実行委員の方達と頂くのがとても楽しみ。皆さんがおしゃべりするのを聴いていると、自分だけが頑張っているのではなく、お一人おひとり、貴重な時間を割いてイヴ礼拝の準備をされて来られているのが解る。ピアノの演奏は、目立つので沢山の方が「ありがとう」と言ってくださる。
 しかし、陰で準備をされたり、当日の奉仕をされている方達は、恐らく、余り人から感謝されず、ただ心から捧げておられるのだろうと思う。私には、人目の付かない所で奉仕をするという能力に欠けている。 教会掃除をしても、誰からも感謝されないと不機嫌になったりする。
 越谷教会のイヴ礼拝の為に準備をさせて頂いている事は、神様からの恵みだなあと思う。お掃除も、健康が与えられているからこそ出来るのだし、お料理も、少しずつ上達するのだから、感謝しつつ目標を持ってやっていこうと思う。
 みつばさ担当者の方に、今朝お電話で、今回は書けませんと申し上げたが、この様な機会を与えてくださったのは、神様のお働きであったのではないかと感じる。
 「言葉では言い尽くせない贈り物について神に感謝します。」
 (コリントの信徒への手紙二 9章15節)
(おかざき なおこ)


クリスマスをきっかけに
雲見 昌弘
 それは2009年の12月24日の夕刻であった。小生と家内、長女及びその長男の創と長女の夏南、それに三女とその長女の歩乃香が、次女の到着を待っていた。場所は大森にある三女宅の食堂兼居間である。少々狭いが、かえってそれが家族のぬくもりを感じる。次女の職場が新橋にあるため到着には少し時間がかかる。三人の孫たちは久しぶりの再会で大喜び。最年長で7歳になる夏南が人形遊びで最年少の歩乃香の面倒をよく見ている。唯一の男の子である創はミニカーを自宅からわざわざ持参してところ狭しと走らせている。やがて次女が駆け込んできた。食事は長女の持参したおかず2品と三女の家庭料理。仕事をしている次女は職場の近くでクリスマスケーキを購入して持ってきた。
 きよしこのよるを歌い、お祈りをしてさっそく料理に手をつける。見る見るうちに御馳走が減っていく。決して豪華ではないけれど娘たちが心を込めて作った手料理だ。特に長女が作って持参したローストビーフの味が格別である。また三女の酢豚もなかなかのものだ。すっかり平らげてしばし歓談。話題はほとんどが育児や買い物情報で、完全に小生は蚊帳の外である。それにしても女性はよくしゃべる。これが元気の源泉かも。孫たちは食事がすむやいなやそれぞれの遊び場に散っている。遊びの方が楽しいのだ。
 「ケーキの時間だよ」との声がかかる。孫たちは直ちにテーブルへ戻る。現金なものだ。食事の際には遊びに興じて呼んでもなかなか来なかったのに。やがてケーキにナイフが入れられて均等に配分される。しばし沈黙。ひたすらケーキの味を楽しむ。少し高いせいか味も良い。
 ただ亭主たちの姿はない。これが日本の現実だ。クリスマスが土日に重ならない限り娘たちの家族全員でクリスマスを祝うことは困難だ。一家族だけなら亭主の都合次第だが三家族全員となるとこれは極めて至難の業だ。
 子どもたちが幼少の頃は家庭で一緒にクリスマスを祝うことが出来た。また教会でクリスマスの祝会に共に参加することもできた。しかし子どもたちが成長し家庭を持ってからは今回が初めてだ。学生時代は友人と、仕事を持っているときは職場の仲間などとの飲み会などでクリスマスを過ごすことが多い。逆に家庭を持ったからこそ、このようなクリスマスが実現したのだろう。多分20年ぶりくらいか。
 久しぶりに、日本で、子どもたち、また孫たちとささやかではあるが、楽しく愉快なクリスマスを持てたことを神様にこころから感謝した。すべてのことには時があると聖書はいう。娘、孫たち、いやそれぞれの夫たちを含めて家族全員が今後もクリスマスをともに祝うことを通じて神様のことを思い、イエス様誕生の意味を考え信仰の道へと繋がっていくきっかけとなっていくことを強く念じている。        
(くもみ まさひろ)
越谷教会月報みつばさ2014年12月号特集「クリスマス」より


特 集