今月の特集題 開かれていく喜び
豊田 敏子 |
私は愛媛県の松山から予讃線で南へ40q程行った所にある瀬戸内海に面した長浜という小さな町に生まれました。その町は肱川の河口にあり、私の子どもの頃には、上流から筏で流されてきた材木の集積所がありましたが、そこは子ども達にとってスリル満点の絶好の遊び場となっていました。 そのような町にも、中心街となる本町通りに、賀川豊彦先生が寄贈された小さな教会がありました。丁度私の実家の3軒斜め前にあり、日曜日の朝にはいつも讃美歌のオルガンの音色が聞こえてきました。日曜学校もありました。子ども達はまるで海や山へ遊びに行くような気分で、僕も私もと教会に集まり、讃美歌を歌い、お話を聞き、美しいカードを貰って嬉しかったのを思い出します。何かの行事の時に教会の前で大勢の子ども達が揃って記念撮影をした写真が残っています。 このようにして、私の中に種はまかれましたが、一向に芽が出ず月日が流れて行きました。その内私も結婚して子育てに追われていた頃、両親が町を訪れた宣教師のお話を聞き、その一週間後に揃って洗礼を受けた事を知りました。父が65歳、母が60歳でした。それまでいろいろな問題を抱えていてお手本となる家庭とは言えませんでした。長い年月はかかりましたが、神様が入って下さり、光を当てて下さって、両親が救われ、落ち着いた家庭そして夫婦に変えて頂きました。 特に母は何事にも真面目に積極的に取り組む性格ですので、先ず孫たちに「神様を知ることが何よりも大切だ」と、事あるごとに子ども用の聖書の物語を送ってくる等“キリスト教攻め”が始まりました。素直な子ども達は程なく日曜学校に通うようになり、私たち夫婦も子どもに教えられて教会に通うようになりました。しかし、教会に通っていたものの、なかなか洗礼に至らなかった私でしたが、主人の転勤でアメリカに行くことになり、牧師先生に「あちらで生活をする時、クリスチャンであることとないことでは大きな違いがありますよ」と言われて洗礼を受けさせて頂きました。 牧師先生の言われた通り、アメリカの生活はスタートから恵まれたものでした。教会は、言葉も十分に分からない私たち日本人を懐の深い愛で包み受け入れてくれました。滞在中には、大きな試練、小さな試練の数々を経験しましたが、その都度助け手が与えられ、慰められ乗り越えて来られたとを神様に感謝しながらの生活でした。 「私が目を留める者は、へり下って心砕かれ、私のことばにおののくものだ。」 (新改訳・イザヤ書66・2) 今も日々色々な問題にぶつかりながら過ごしておりますが、いつも幼子の様に、心砕かれた素直な心で、神様の語りかけに耳を傾け、力を頂き、希望をもって、歩んで行きたいと願っています。 |
(とよた としこ) |
榎本 壽子 |
神様は私の気付かぬうちに道を整え導いて下さっていたのです。私は1959年に今は亡き加須の愛泉教会の藤崎五郎牧師先生より洗礼を授けていただきました。それはクリスマスの日でした。洗礼名は確か「ルツ」だったと記憶しています。 私は高校を卒業するとすぐに加須の社会福祉法人「愛の泉」の事務員として働くことになりました。その頃、愛の泉にはドイツから来られた宣教師のキュックリヒ先生がおられました。先生は若い頃日本に遣わされ、第二次世界大戦の時にも母国へ帰られることなく日本に留まりキリスト教の布教に専念されておられました。 敗戦後先生は荒んだ世の中に置き去りにされた子ども達を救おうと手を差し延べられ力を尽くしておられました。 愛の泉には乳児園、幼児園、養護施設、そして養老園がありました。 キュックリヒ先生は外から通って来る園児達をはじめ、施設へ入所している子ども達やお年寄りお一人おひとりに心を寄せられ、その一人ひとりを大切にされている事が周りにも良く解りました。 先生が乳児院の赤ちゃんを抱っこされたりあやされたりするお姿を拝見することで私達は心が和みました。乳児院の赤ちゃんから幼児園と養護施設の子ども達そして養老園のお年寄りの方達も皆キュックリヒ先生が大好きでした。「ママさん」「ママさん」と尊敬と親しみを込めて周りを取り囲みます。更に愛の泉にはキュックリヒ先生の他にもう一人皆から特別愛されている方が居られました。 施設長の「オバチャン」でした。遠くに「オバチャン」の姿が見えると「オバチャンだ」「オバチャーン」と子ども達は飛んで行って楽しそうに話し掛け、手を引いて甘える子ども達を見かける事もありました。 職員達はさすがに施設長を「オバチャン」とはお呼びする事は無く「おばさま」とお呼びしていました。愛の泉にはこのお二人が中心におられ、そこにはいつも牧師先生がお二人を守る様に側に立たれその周りを子ども達や職員が囲み神様を仰ぎ賛美する穏やかな雰囲気のイメージが甦ってきます。 若い日に愛の泉で出会いお世話になった方々は大勢居られました。お一人おひとりの顔が浮かんで来て懐かしさでいっぱいになります。 キュックリヒ先生も施設長の岡安寿々さんもとうに亡くなられましたが、神様の忠実な僕として人生を歩まれたお二人を忘れる事はありません。神様はこの様に大勢の方々を通して神様への道を神様の業を示して下さいました、心から感謝です。 |
(えのもと ひさこ) |
越谷教会月報みつばさ2014年10月号特集「開かれていく喜び」より |