今月の特集題  歩み始める




神様のご計画の中で
豊田 雅孝
 私はキリスト教には縁のない小さな海賊島の生まれですが、中学高校は下宿して松山市のカトリックの学校に行き、倫理の授業の中で神様の存在を学びました。しかし、洗礼を受けたのは、高一の時市内のバプテスト教会でした。
 カトリックの校長先生が、うちの学校の生徒をプロテスタントにするとはけしからんとバプテスト教会の老アメリカ人婦人宣教師に抗議の手紙を書かれ、宣教師の先生との間を互いの手紙を預かって何回か往復させられたのを思いだします。でも私にとっては同じ神様です。校長先生にも可愛がっていただき、結婚式の仲人にもなっていただきました。
 その後大学受験の頃から結婚して子どもたちが教会学校に行き出すまで、十年余り教会から遠ざかりましたが、三人の小さい子どもたちに教えられて、また教会に足を運ぶようになりました。仕事で住んだアメリカでもイギリスでも日曜日にはいつも礼拝に出席しました。
 私は、聖書の勉強もそれ程熱心でなく、敬虔なクリスチャンとは言えませんが、私の人生は、自分が気づかない内にいつも神様に導かれ守られて来たと信じています。罪深く愚かな自分を顧みて、神様の前に跪いて罪の許しを請い、全てのことに感謝する。難しいことは分らなくともいつも教会につながっている。友人知人などに事あるごとに私はクリスチャンですと言う。私にできることはそれだけですが、それが私にできるせめてもの証かなと思っています。
 神様の恵みは計り知れません。私自身、あの時神様が助けて下さらなかったら今の自分はいなかっただろうと思うような危険な場面にいくつか遭遇しました。また、アメリカにいた時三人の子どもたちにもそのまま死んでいても不思議ではないような事件が夫々にありました。家族全員が無事に帰国出来たのは神様が奇跡を行ってくださったとしか思えません。
 私の長い仕事人生の中でも、一時期失業もしましたし、つらい時期もありました。しかし、いつも妻に 神様が道を開いてくださり、ごほうびをくださるからね と励まされましたが、本当にそのようになりました。
 同時に神様は厳しい試練も与えられます。私たち家族も今思いもよらない大きな試練の中にあります。しかし、全てが神様の大きなご計画の中にあるのでしょうから、喜んでその試練を受け入れて歩んで行きたいと思っております。
 百歳まで生きるにしても、いつの間にか七合目まで来てしまい人生を振り返る年齢になってしまいましたが、転会を機に新しい群れの皆様と共に心新たに学びながら歩み始めて行きたいと思っております。
(とよた まさたか)


多くの方に支えられて
佐々木美波
 みつばさの原稿依頼を頂いた時、何を書いたらいいのかと正直悩みました。今回は一年目の幼稚園生活を終え、二年目の生活が歩み始めた事を書かせて頂きたいと思います。
 幼稚園教諭として、二年目の生活が始まり、忙しくも楽しい日々を送らせて頂いています。まだまだ未熟者で、多くの人から様々なことを学び、教えて頂いている日々です。
 約一年前の私は、聖書の開き方もわからず、何をするにも誰かの力をお借りしているような状態でした。初めてのことに戸惑い、悩んだりすることもありましたが、新たな気づきや発見は毎日の生活の中で何度も味わうことができました。
 朝どんなに眠くても、体調が優れなくても、子ども達の元気な姿を見ると、自然と私も笑顔になれました。元気になれました。子ども達の飾り気のない、ありのままの姿に何度も助けられてきたような気がします。
 子ども達とどんどん関わっていく中で、神様のことをどう話したら伝わるのだろうかと悩んだ時もありました。最近まで聖書すら開くことのできなかった私が、神様のことを子ども達に話してもいいのだろうかという不安もありました。ですが、ある方に「聖書の紙芝居やみ言葉を通して、子ども達と一緒に学んでいけたらいいんじゃないのかな」というアドバイスを頂き、共に学んでいく方法もあるということを学びました。
 またこの頃、お祈りをしている自分自身に変化を感じました。今まではお祈りすることもままならず、自分の気持ちを上手く言葉で表すことができませんでした。それでも神様が見守っていて下さると信じ、ひたむきにお祈りをしてきました。
 初めは誰かの為、自分以外の人の為だけにと思っていたお祈りが、いつの間にか自分の為にもなっていたのです。お祈りを通して神様がいつでも側にいて下さることを実感することが出来ました。
 この一年間は子ども達と共に学び、共に成長してきたのだと、今改めて感じています。
 私は日曜日のお礼拝に行かせて頂いたり「教師の友」を読みながら、少しずつ聖書について学ばせて頂いています。この歩みが自分の為、子ども達の為になることを願っています。
 今、多くの方々に支えられながら過ごしていますが、無事に一年間を終え、二年目の歩みが始められたのも、周りの方々の助けがあったからだと思います。
 神様から与えられたこの大切な役目をこれからも初心を忘れず、祈りながら歩んでいきたいと思います。         
(ささき みなみ)
越谷教会月報みつばさ2014年7月号特集「歩み始める」より


特 集