今月の特集題  祈って待つ




この地も、かの地も神が造り愛したもう
小幡 正
 2011年3月11日以降、僕の心に嘆きや喪失感、無力感、不信感、根本的な疑問や疑念、疎外感、抗議の思い…などを湧き起こす出来事や問題が次々と起き、新聞をむさぼり読み、関連番組を見逃すまいとする日々が続く。あの日以前とは全く変わってしまった心理状態が今も続く。よく今まで身がもってるなと思う。ともに祈れる教会がなかったら、ほんとうに身がもたなかった。
 「便利なインフラを享受する首都圏の住民として、福島県民の苦難をどう見るか」、「同じ東北人として仲間の福島県民の苦難を考えた時、これからの東京は、日本はどうあるべきか」、止まったエスカレーターの横の階段で、間引き運転で発車時刻が空欄の電光表示の下で、ヨーグルトが一個もなくなったスーパーの売場で、じわじわ頭を包み始めた問いは、今も心にくっきりと影を落とし続ける。
 原発事故による風評被害に苦しむ福島県の農業のため自分たちにできることはないかと話し合い、地元の自慢の果物を本格的なゼリーにして売り出すプロジェクトに活躍する伊達市の高校生たち。その一人の希望に満ちた力強い言葉をテレビで聞いて、大いに力づけられた。その彼女の笑顔に癒やされた。
 しかし、力強くキラキラ輝く彼女のその瞳は、その何ヵ月か前、伝統の名産品「あんぽ柿」の材料の柿の実が風評被害で出荷できずに地面に落ちたままになっているのを、通学路で見たのだ。それを見た彼女は「ショックだった」などというだけでなく、どんなに深く傷ついたことだろう。彼女の気持ちを正しく代弁することなど出来ないが、風評被害は、そして原発事故は、おいしい果物の豊富な福島をこよなく愛し誇りに思う彼女の「福島県民としての尊厳」を踏みにじる出来事だったと言っても過言ではないと僕は思う。それを心のバネにして立ち上がった彼女だが、そのように前進することが出来ずに苦しむ人たちもいる。
 2020年の東京五輪について、ある横浜出身の作家の「私は、たった一人でも仮設住宅で観戦する人がいたとしたら、オリンピックは失敗だと思います」という言葉を4月27日の新聞で見て、その通り!よくぞ言ってくれた!と心の中で拍手する自分がいた。被災地の苦しみが、何か東京五輪招致のために利用されたような不快感も残っている。人材や資材の東京へのいっそうの集中が、被災地の復興事業の入札不調の増加に拍車をかけている。
 えらそうなことばかり書いて恐縮だが、これから仙台へ引っ越しても、僕を導いてくれた「母教会」越谷教会の皆さんとともに、明るい2020年に向けて祈り続けたい。
(おばた ただし)


他教会に学ぶ
舟橋 葉子
 私が今一番求めているのに、まさに祈って待つことしかできないのは、信仰の成熟である。2006年のイースターで受洗してからちょうど8年、個人的な感慨としては「もう8年」であるが、クリスチャン生活としては「まだまだ8年」でしかない。祈り願う信仰の成熟のためには、逆説的な表現ではあるが、馴れず奢らず、常に初心に返ることが大事ではないかと思っている。
 昨年度は、私にとって初めて与えられた休職役員の年であった。その一年をどう過ごすかを考えた時、私は一つの答えに行き着いた。
 「他教会の礼拝に学びたい」
 二年間通った東神大の夜間講座で、礼拝の式次第について学んだ。ひとつひとつに意味があること、しかし教会によってかなり違うこと。その違いが際立つのは聖餐式であると考え、主に第一主日に他教会を訪問することにした。
 他教会に行っても、第一礼拝または夕礼拝で越谷教会の聖餐に与ることができるのは、大きな恵みであった。
 一年間に訪問し礼拝に参加した教会は十教会を数え、そのうち九教会で聖餐に与った。一番規模の大きな教会は礼拝出席者が三百人を超えていた。前に進み出て配餐を受けるタイプの聖餐だが、複数の誘導係がいて迷わずに並び、また席に戻ることができた。別の教会では、前に出ることはできたものの戻る時に通路を間違え、人の流れに逆行する形になってしまい冷や汗をかいた。自席で配餐を受ける場合も、パンや葡萄酒を受けとったらすぐに口にする教会多数。周囲をうかがいながらタイミングを合わせる緊張感があった。
 一番少人数だった教会では、訪問者である私と、牧師・司会者も含めて七人だった。しかし賛美の声は大きく、礼拝の流れも整っていて、主日にはこのように規模にかかわらず全国で信仰告白が唱和されていることに感動を覚えた。
 伝統による違いは献金の仕方にも表れる。席上献金の袋がない教会も複数あった。集計をする際に楽であろうと想像した。ただ歴史の古い教会で、献金を黒布を貼ったお盆のような浅い入れ物にそのまま置く場合があった。誰がどれだけ献金したか一目瞭然、今の時代にはそこに多少の配慮が必要ではないかと感じた。
 礼拝の細かい部分は違っても教会はキリストにあってひとつである。自教会の伝統を重んじながらも時代に合わせ、若者の考え方の変化をも視野に入れて柔軟な対応が求められているように思った。
 これらの経験を思い返し糧とし、母なる越谷教会でまた新たな気持ちで礼拝奉仕をしたい。   
(ふなはし ようこ)
越谷教会月報みつばさ2014年6月号特集「祈って待つ」より


特 集