今月の特集題  みことばに強められ




愛をもって
豊川 朋子
 「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」(口語訳 ヨハネによる福音書3章16節)
 このみ言葉は母が病床洗礼の後、天に召され、これから自分はどう生きていけばいいのか悩んでいる時に、心に響いてきたみ言葉です。当時まだ24歳の私にとって、母の死は、とても辛く悲しいことでした。しかし幸いなことに、母は亡くなる二週間前に信仰告白し、洗礼を授かったのです。それは私にとっての救いでもありました。
 それまで母が受洗するなんて考えられないことでした。そこには、神様のお導きがあったとしか考えられません。自分の死について受け入れることが出来なかった母も、受洗後は落ち着きを取り戻し、皆に感謝して安らかに亡くなりました。病室には平安な空気が漂っているように感じ、神様が守って下さったのだと思いました。そのことを通して私も神様の存在を確信し、キリスト者として歩んで行きたいと決心しました。
 あれから20数年以上経ちますが、冒頭のみ言葉は、私にとって最も励まされ、また自分の信仰の原点に返ることが出来るみ言葉です。
 ところで聖書には数々の素晴らしいみ言葉がありますが、私が生きていく中で最も大切だと思う「愛」について、「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。」(コリントの信徒への手紙T 13章4〜5節)と書かれています。
 私は人と争うことが嫌いです。日々穏やかに暮らしたいと思っていますが、 人間関係で行き詰ってしまう時、このみ言葉のように「愛をもって生きる」ことが出来ればと思います。「愛」は、こんなにも無敵のスーパーマンなのです。このみ言葉を皆が実行していけば、今よりもっと平和な住みやすい世界になりそうです。
 しかし、現実はなかなかそううまくいく訳ではありません。ニュースを見ても、周りを見ても、私自身においても 「愛」があればこんなこと起きなかったのに、こんな発言しなかったのにと思うことが沢山あります。そんな時、人間の罪深さを思い知らされます。それは自分の心に余裕がなかったり、自分のことを一番に考えてしまう人間の罪が「愛をもって生きる」ことを難しくしてしまうのかも知れません。
 「目を覚ましていなさい。信仰に基づいてしっかり立ちなさい。雄々しく強く生きなさい。何事にも愛をもって行いなさい。」(コリントの信徒への手紙T 16章13〜14)、このみ言葉に励まされ日々歩んで行きたいと思っています。     
(とよかわ ともこ)


我が家に天使が下り立った
榎本 壽子
 それは2011年の8月の末の事でした。シンガポールから孫娘はその母親(私どもの末娘)と共に我家にやって来ました。
 抱っこするとまだミルクの匂いがしてずっしりと重く、手足の丸みが腕に伝わってきました。私共の娘は夫(シンガポール在住の男性)とは「もうこれ以上一緒に暮らすことは出来ない」と大きな決断をしての帰国となりました。
 その日から孫娘は“我家の天使となったのです。それ迄我家は老夫婦二人だけの暮らしでしたがそこへ娘と孫娘がやってきて一気に倍の四人暮らしの生活が始まりました。まずは孫娘の事が気になります。大人だけに囲まれて育つ子は我儘な人間になってしまうと困るから躾は厳しく行こうと言う事になったのですが孫娘の、日に日に成長していく姿に心を奪われ、厳しい躾はどこかえ行ってしまいました。その後「そんなに気を張らずにのんびり行こうか」と言う事になった様な気がしています。
 確実に階段を一段一段登って行く様に成長して行く孫を目の当りにして「子どもって本当に素晴らしい!」そして「面白い!」の一言に尽きます。
 私は自分の子どもを三人も育てていながらこんな思いをするのは初めての事の様に感じています。三人の子育て中は他の事に気を取られてしまって子どもを見つめる余裕が無かったからかもしれません。孫が来てから笑う事が多くなりました。自然と笑顔になってくるのです。家の中に子どもの話す声が聞こえる、パタパタと子どもの元気な足音が響く。そしていたずらをすれば次はどんないたずらをするかなと待っているのです。子どもは本当に天使だと思えてきます。
 さて孫と私のささやかな楽しみは月の明るい晩に孫を手おんぶして「お月様いくつ」や「十五夜お月様」を歌いながら家の廻りをぐるりとひと廻りしてくる事や、朝、保育所へ行く前のほんのひと時を庭の草花や野菜を見て廻りながら蕾のふくらんできたことや実の赤くなって来たことを知らせ合っては喜ぶのです。又孫が退屈して「おばあちゃん何かして遊ぼう」と言ってきた時には大概トランプやカルタ取りをするか童話を読んでやりますがこんな時にはこちらの方が夢中になってしまい孫が負けてくやしいと泣き出してしまう事があります。
 先日渡辺和子著“愛と励ましの言葉366日”を読んでみました。心に深く刻まれた言葉が沢山ありましたがその中からいくつかここに記してみます。
※愛することができるために人はまず愛されていなければならないのだ。愛されてつまり“ごたいせつ”にされてはじめて人は自分の価値を知り自信を持って生きてゆくことがとができるのである。
※待つこと耐えること、他人と譲り合って生きて行くことこれは世の中がどれほど便利になっても人間が生きていく上でどうしても必要な躾、基本的生活習慣である。なぜなら神ならぬ不完全な人間の社会に於いてこの様な事が出来ることこそ「人間の証明」なのだから・・・。
 すべての事を神様に感謝いたします。
(えのもと ひさこ)
越谷教会月報みつばさ2013年7月号特集「み言葉に強められ」より


特 集