今月の特集題 特別伝道礼拝 (2/10)
上下教会 東岡山治牧師をお迎えして
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榎本喜美夫 |
![]() 東岡牧師は生まれが被差別部落であるがために、日本社会のいわれなき差別を幼少のころから受けてこられたという。先生の生まれた戦前時代にあっては、家計的にも恵まれない家庭も多く、小学校卒業後に上級学校(旧制中学校や高等女学校など)に進学するのは容易ではなかった。(でも玉稿の収録されている「私の伝道」の中のこれまでの生涯を拝見すると、お父上は地元の有力者で経済力があった方とのこと)地元の旧制中学校、京都の専門学校に進学。幼少からキリスト教が身近にあり、京都時代も牧師のもとに出入りする機会があった。 そうした成長過程の中で「キリストに生かされている」という体験を人生の中で何度か体験しておられる。生まれるときは母体がもたないからという理由で中絶させられそうになったとき、母親が私は死んでもよいからこの子を生かしてと祈り、学生時代に絶望感から線路に横たわったこと(終電車の後だったので自死は果たせず)、招聘先の教会では被差別部落出身であるという理由からすんなりといかなかった・・・しかし、そのたびに神様の御手が働いて生かされてきた。キリスト者の信仰は自ら選んだのでなく、神様が招いてくださったのだと折に触れ説教で聴かされるが、まさに神様が常にそばにいて、選んでくださったという先生の生き様である。 ![]() 最後に越谷教会は笑いを大事にする教会である、とのお褒めの言葉をいただいた。その通りと思うが、ただ先生のお話にあった「教会にかかわらなければ信仰はなりたたない」という一言が気になった。信徒の友にもあったが礼拝に出席して説教を聞いて帰る、という受身の形だけでなく、壮年会、婦人会、喫茶コーナーなどにも関わってみようという能動的な信仰生活も必要なのだと。 |
(えのもと きみお) |
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石橋由美子 |
![]() 先生の温かいお人柄から発する言葉とその響きが礼拝堂に隈なく広がって、聞く私達一人ひとりの心が満たされるという不思議な礼拝でありました。私は難聴の為70%位しか聞きとれないので事前にお願いして先生の説教原稿を礼拝後読ませて頂きました。先生のご準備下さったメッセージを忘れず今後の信仰の糧となす為にも、又出席の叶わなかった方にも先生の思いを伝えたいので語られた内容を整理して書く事にしました。 先生はご自分が被差別部落出身という事を隠さず、むしろ積極的に部落問題ととりくみ日本基督教団の部落解放センターの運営委員長もされました。先生は難産の末生まれた際、言われた両親の言葉「お前が生きているのは村のお母さん方のおかげだよ。それを忘れるな!」をしっかり覚えて、クリスチャンとなり「その時自分の将来は主イエスキリスト様へのご恩返しに牧師になって被差別部落に伝道しなければ申し訳ないと思う様になりました」と語られました。 その後、同志社神学部に転部しその時の修士論文は 私がキリストにあって生きる でした。その内容は「その一つの考察はイエスキリストを集合人格共同体と捉えた。神秘的にキリストと ![]() 「神様、主よ出番です」と先生が苦難の時言われた様に私もそう言って前へ歩んで行ける様に特伝で祈り方を教えて頂きました。又弱っていた私の細胞を活性化して頂き自分の弱さや失敗に誇りと自信を持って生きなさいと背中を押して下さり、改めてお語り下さった先生に感謝しました。 最後にみ言葉「神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。なぜなら『恵みの時にわたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた』」 (コリントの信徒への手紙二 6章1〜2節)を読み、祈る事が出来ました。 |
(いしばし ゆみこ) |
越谷教会月報みつばさ2013年3月号特集「特別伝道礼拝」より |
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