今月の特集題  感謝 -みことばに生かされて-




災いも、幸いも
奥田 尚子
 「人の子らを苦しめ悩ますことがあっても それが御心なのではない。」
                                       (哀歌3・33)
 この聖句は、リビングバイブルでは「神様は好んで人を苦しませ、悲しませたりはなさいません。」とあります。「好んで」は、「本心で」とか「喜んで」という意味にとれます。神様ご自身が大きな苦しみ悩みを抱いて、私たちに臨まれるのでしょうか。その先にもっと深い神様のご計画があるのでしょうか。
 私のように、戦時中に生まれ、幼少期を過ごした世代は、敗戦という大きな価値観の変換に出くわし、子どもながらに、生きる目的を再び模索し直さねばなりませんでした。
 平和憲法が作られ、戦争の恐怖から解放され、また同時に長年、国民の統制に便利な思想であった、儒教的倫理からも解放されました。しかし反面、くさりを解かれた犬のように、快楽に溺れる自由も与えられたといえます。
 その中で、自分を律するもの、それは矢張り聖書でした。キリスト教主義学校で六年間学んだ私には、色々な形でみことばが体内にしみつき、今もその時々にみことばが記憶から浮かび上がってきます。
 現在、毎週の説教を聴くとき、与えられるみことばは、全く新しいみことばとして身体の隅々に突き刺さり、眠っていた細胞が刺激され、活性化させられます。
 時には祈ることばが見つからないとき、ただ頭を垂れ、神の御前にひざまずくとき、人のことばに言い表せないみことばが、神様から与えられます。それは、理性とか知性とか、感情といった狭い範疇に入るものではなく、人間自体を在らしめる根本的な働きといえます。
 神様のみこころを人は完全に知ることは出来ない。自分の解釈や、自分の得手勝手な取り方でみことばを利用してしまいがちな自分を省みます。
 ただ黙して神様の御前にひざまずくとき、主が命じられることが示されます。私はただ、みこころに適うように祈りつつ、与えられる一つ一つのことにあたるのですが、そこにはたくさんの感謝が生まれます。
 「主がお入り用なのです。」といわれて調達された子ろばのように、用いられることが出来たら、本当に喜びなのです。
 そして何よりも、それぞれ重荷を負いつつ歩む兄弟姉妹と共に行ける事の幸せを心から感謝しています。
(おくだ ひさこ)


希望の光を見上げ続けて
中山 百合
 以前、私の貧しい有様を書いてから、もう二年半です。とても再度載せていただくような器ではなく、礼拝の末席にそっと入れてもらえるだけで、晴らしい恵みだと自覚しております。
 でも、こんな自分の「今」をお伝えすることで、何らかの不安をお持ちの方に「あんな人でも・・・・」と前向きの希望を抱いてもらえればとペンを手に取る次第です。
 私は長年、塾をやっております。
 小中高と十年間学び続けて昨年末、指定校推薦で東京電機大の電気電子工学科合格の朗報という高3生もいれば、広汎性発達障害で、初回は線のなぞり書きがやっとで 二年余を経て、数の認識と五十音仮名書きが出来るようになった小3生もいるというように、巾広い学年層で色々なタイプのお子達と学び合う毎日です。
 ところが本部は最近の少子化傾向への対処策として乳幼児をターゲットにするようにと強く働きかけてきました。
 私は「ベビーを相手に?」と疑問を持ち相手にしなかったために、すっかり疎外されてしまいました。この強いストレスに耐え切れなかったのか、恐れていたてんかんの発作を起こしてしまい、観念して本部に同調することにしました。
 私がこうしたマイナスの体制の内で、どうにかこうにかやっていけるのは、触れ合う子ども達の可愛さのお陰です。
 スウエーデン出身のゴスペルシンガー、レーナ・マリアが13年前に大分国際車椅子マラソン大会の開会式で歌いました。
 彼女は障害のために出生時から両腕がなく、左脚が右脚の半分の長さでしたが、1988年のソウルパラリンピックに出場して背泳ぎ4位、自由形5位、平泳ぎ6位で入賞し、その後音楽で生きる決意をして水泳選手をやめています。彼女の美しい賛美の歌声は聞くものに深い感動を与えます。
 私の眼前の、自閉症・ADHDなどの子ども達も、やがて彼女のように確かな自立の道を辿り成長できる。私はこの仕事を天職だと思っております。
 いよいよ疲れ果てておかしくなりそうなとき、遅刻しつつでも礼拝に出席させていただきます。そして石橋先生のお説き下さるみことばに深く癒され、感謝です。
 青年時代に学んだ『ハイデルベルク信仰問答』を開くと、問い「慰めの中に祝福されて生き又死ぬことができるために知らねばならない事とは」。答え「第一に私の罪と悲惨とがどんなに大きいかという事。第二に私がどのようにして私のあらゆる罪と私の悲惨から救われるかという事。第三には、私がどんなにこの救いに対して、神に感謝すべきかという事であります」。
 「悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう。」(口語訳詩篇50・15)
(なかやま ゆり)
越谷教会月報みつばさ2013年2月号特集「感謝 -みことばに生かされて-」より


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