今月の特集題  復活の光に照らされて




私と教会
高橋 和美
 ある日、学生時代に口ずさんだ歌のような「つたのからまるチャペル」を見つけました。それが王子教会との出会いでした。私が想像していたような姿で私たち親子を魅了しました。毎日その前を通っておりましたが、ある日娘が「ここに行きたい」と言うのです。私にとって教会や日曜学校は「赤毛のアン」などのお話世界でしかありませんでした。子ども達に背中を押されながら、こわごわと教会に入って行ったのを覚えています。そして、いつのまにか毎週教会で過ごすようになっておりました。楽しく充実しておりました。
 そんなおり父が病に倒れました。その上兄の転勤が決まり、私と母は途方に暮れてしまいました。子ども達にかまってやることもできなくなりました。実家に泊まることも当たり前になってしまいました。いろいろ手伝ってくれる子ども達をせめて教会学校に通わせたい。そんな願いがかなって豊島が丘教会(実家の近くの教会)へと通うようになったのです。そして会堂建築という大きな出来事に遭遇しました。工事中は別の教会を借りて時間外で礼拝をもちました。そのおかげで父の昼寝の時間に教会に出かけることができました。神様は時にステキな計画をするものだと感動しました。
 そんな時子ども達に旧会堂を壊すところから新しい会堂が完成するまで、同じ場所から写真を撮ることを提案しました。少しずつ教会ができていく。少しずつが確実になることを子ども達に確信してほしかったのです。介護に通う母に付き合わなければならない子ども達に真っ直ぐ育って欲しい。母の切なる願いでした。会堂が壊されて瓦礫の山になったときは涙がこぼれました。その頃の自分の心のようにも思いました。「神様は背負えない荷物は背負わせない」「私に背負えると思っているんだ」と…。何度も自分に言い聞かせながら、毎週写真を撮りました。アルバムがいっぱいになった頃、会堂は完成しました。私の心も豊かになっていました。礼拝の後も、ともえ姉(牧師のお嬢さん)のピアノでたくさん讃美歌を歌いました。そして洗礼を受けました。
 それまで未熟な私は、いつも神様に見守られていたことに、気づかなかったのです。二児の母になって、大好きな父が倒れて、初めて神様の恵みに感謝できるようになったのです。
 「復活の光に照らされて」という内容で原稿を依頼されましたが、とても難しく、震災のニュースで瓦礫の山を見るたびに思い出していたことを書かせていただきました。復活の光に照らされているのは今の私自身です。「すべてのわざには、時がある」よんちゃん(豊島が丘教会前牧師)の声が聞こえたような気がしました。
(たかはし かずみ)


復興を支える信仰
福田 健一
 昨年3月11日、論文の資料収集のため日本に一時帰国していた。午後に発生した東日本大震災、テレビには人、そして町が津波にのみ込まれていく絶望的な様子が映し出され、それを現実のものとして捕らえられない私がそこにいた。台湾大学留学中の2009年8月9日、この日も同じような思いでテレビを見ていたことを覚えている。台湾を襲った台風8号の記録的豪雨によって甚大な被害が発生、特に高雄にある小林村付近で発生した大規模な土砂崩れによって一瞬のうちに500名以上の人々が生き埋めとなり犠牲となった。
 東日本大震災、小林村の悲劇などの悲惨な自然災害を目にする度に人間がいかに小さな存在で無力かを痛感します。しかし、災害後の人々の懸命な復旧活動を目にすると人間の強さ・優しさを感じられずにはいられません。
 2月下旬、私は石橋先生の通訳として台湾・嘉義の真理大学で行われる日本基督教団と台湾長老教会との会議に出席する機会に恵まれました。議題は東日本大震災後の日本の教会の復興支援の取り組み、8・8水害後の台湾長老教会の復興支援の取り組みに関するもので、活発な質疑応答、意見交換、そして被災地の視察など多くの見聞を得ることができました。8・8水害では特に先住民(中国語「原住民」)の人々が暮らす高地が大きな被害を受け、彼らは泣く泣く先祖代々の土地を捨て平地での生活を余儀なくされています。彼らは独自の言語、文化を持っていますが、台湾社会ではマイノリティな存在です。彼らの伝統、文化、生活スタイルを尊重しながらどのように支援していくか・・・台湾長老教会のきめ細かい支援活動に感銘を受けました。一人一人が神様に愛された存在であり、神様によって与えられた彼らのアイデンティティをどのように尊重していくか・・・その意識を強く感じました。
 多くの人々が家族、家、物資を失う状況の中にあっても、「如果真的需要・上帝肯定為我們安排」(本当に必要なものは神様が必ず私たちに与えてくださる)という言葉を多く耳にしました。とかく日本人は平時において「神様の存在を忘れ」、非常時においては「神様の存在を疑う」ことをしがちですが、悲惨な状況に見舞われながらも神様への信頼を失わず、またそれによって前に進む強い意志を得ている原住民の方々の姿に心をうたれました。震災後、「神は存在しないのではないか」という思いが日本人の心の中に広まりました。しかし、一人一人が心の中で神様の存在を復活させ強く信仰することで、震災の復興に力強く立ち向かっていける・・・そのことを痛感すると同時に自分もそうありたいと感じた今回の台湾訪問でした。     
(ふくだ けんいち)
越谷教会月報みつばさ2012年4月号特集「復活の光に照らされて」より


特 集