今月の特集題  さあ、行って伝えなさい



『真実の方』に生かされる
浅川 信秀
 新しい年の初めに原稿依頼!さてどうしよう…これは結構なお年玉を頂いたという感じだったのですが、せっかくの機会ですのでありがた?く書かせて頂かねば。
 今年の新年礼拝の説教では、『真実の方』という言葉が大変印象深く響きました。この日は、普段に増して石橋牧師の話に耳を傾けていたのです!献金のお祈り当番だったので…ではなく、やはり新しい年に僕自身が自分の人生をどう歩くか、また主に生かされているかどうかという事を考えるようになったからでしょうか。
 主に生かされていると言うことについては、年々深く考えるようになりましたが、最近は『心』や『思い』の部分についても神様のご意思が働いていると感じるようになりました。ふと何気なく思ったりする事も、あたかも自分の心を自分が支配しているようですが、ここにも神様のご意思があるように思います。ですから、私たちがどんな風に思ったり、感じたり、言ったりという事について、ここに少なからず神様の意思が働いているような気がするのです。もちろん、常にそういう耳を持って他人と関わる事は出来ないのが残念なところですが、何か衝突や摩擦が起きたときに、神様が目の前の人を通して僕に何を伝えようとしているのかと少しは考えるようになりました。
 また、真実の方は、実に様々な人やものを通してお伝えになる方です。時には深く悩むこともありますが、幼子を通して語られることは楽しいことばかりです。子どもたちが『あのね、あのね』と話してくれる事は、世界が実に喜びにあふれていて、生きることが楽しいかをストレートに伝えてくれます。また、大好きの気持ちをお互いにやり取りする事が、人生を豊かにし自分自身を強く支えてくれる事を教えてくれます。
 不思議な導きによって、幼子に囲まれた生活を送っています。職員や保護者の方との関わり、個性豊かな子どもたち。僕の周りには人の交わりが本当に豊かであることに感謝です。沢山の関わりの中で、時に神様のご意思をどれだけ感じる事が出来るか不安ですが、時々、思い出せるようにしながら過ごして生きたいと思います。
(あさかわ のぶひで)


ダメおやじのかしら
谷口 則之
 新参者の谷口です。昔、聖書を通読しようとしたら創世記の初めで聞き慣れない名前だらけになって、つまらなくて挫折をしてしまった。以来、牧師先生だけが頼りです。
 さて僕には四人の男の子がいます。その内の上二人は、暴走族をするほどの荒れ具合になってしまった。そこで反省して下二人は、命がけで自分なりに「子育て」を学んで育てたら、下二人は教会で洗礼を受けるまでになりました。
 上二人の子は、今現在も乱れた生活をしています。子どもをシッカリと育てられなかったことは、未だに夢で時折うなされるほどの僕の十字架です。
 どうして上の子二人と下の子二人の育ち具合がこうも違うのでしょうか?
 それは、上二人の時には僕が「幼稚」だったからです。そして「子育て」を学ばなかったからです。
 聖書には、「幼稚であってはならない」とありました。
 四人の子がいなくなった今、ふと世間を見ると僕と同じ「ダメおやじ」をやろうとしている父親の多さにビックリ仰天しています。
 このままでは大変なことになる・・・・・いや、もうすでに大変なことになっている。ここ日本では国際的に自殺者が多い。ニートも大変な数にのぼる。
 そこで僕は、「ダメおやじのかしら」として若いお父さんに僕と同じドジを踏まないようにと、ある活動を始めました。
 それは、戸田市にある道満グリーンパークという公園で、要するに「父親参観」のような場を設けて、若いお父さんと子どもが一緒になって小さな工作物を作ってもらうというものです。
 このことを通して、若いお父さんにどう子どもと遊べばいいのか感じ取ってもらいたいのです。
 「母性本能」というものがあります。
 聞いた話では、最初からあるものではなく、母親が赤子に自分のおっぱいをしゃぶってもらって、その子に話しかけ、頬ずりして、そういうことによってそのホルモンが分泌されるのだそうです。
 ということは、父親もたくさん、そして上手に子どもと交流しない限り「本当の父親」になれないものだと僕は、思うようになりました。
 「本当の父親」の子育てのことを僕は、「父性教育」と呼んでいます。
 それは、父親が子どもに「生きる意味」「生きる価値」「生き方」を教えることです。
僕は、このようなことを自分のHPで書き込んでいるのですが、それであることに気付きました。
 「父性教育のかしら」は、イエス・キリストだとね。これを伝えていきたい。
(たにぐち のりゆき)
越谷教会月報みつばさ2012年1月号特集「さあ、行って伝えなさい」より


特 集