今月の特集題  行け。わたしがあなたを遣わす



できるかな
佐藤 祐子
 自分の人生を時計に換算するには、年齢を3で割るのだとTVのドラマで言っていた。すると私は今17時50分位、もう夕方だ。個人的なでき事、大切な方々との別れ、3月の大震災、様々な事件など、本当に毎日いろいろな事が起きる。その都度、心を揺らし、時には身動きがとれなくなりながら、またそこからのろのろと歩みを進めている。
 私にはあとどれ位の時が与えられているのだろうと、50歳で逝った弟を思う時、考えてしまう。だからその時やらなくてはならない事をできるだけその時にやろう!あれがないと〜これが終えたら〜後でと思っているうちに忘れてしまう。先伸ばしした分だけ良い仕事ができるかと言うと、そうでもない。その時すましてしまえば気持ちが良い!といい事ばかり浮かぶがなかなか実行できない現実・・・である。
 神さまは私たちをそれぞれのタラントに合った場で御用に用いて下さる。大きな業に、人を動かす場に、人を支える業にと、様々な役割りや働きがお互いに支え合って毎日が成り立っている。
 私が神さまに「行け」と言われているのは、遠く離れた場所でも、新しい場所でもない。今を過ごしている日常に「行け」と遣わされている。車いすの母の所に、自立した子どもの所に、夫婦だけになった家庭に、柔らかな心の子どもたちが集まる幼稚園に、ご近所のお付き合いに、毎日は会えない友人の所に、時には、電車の中のお年寄りの所に。でも遣わされた場所で、私はいったいどれだけ、託された御用を感謝と喜びを持って成している事ができているだろう。自分の都合や気持ちで左右されてしまったり、あと少しの頑張りをせず、おざなりになってしまったり、わかっているのにやらなかったり、踏み出す勇気が出なかったり。初めの意気込みがすぐに干上がって、不平や不満でたちいかなくなったり、言い訳ばっかりと情けない事の連続だ。
 それでも神さまはまた用いて下さる。たくさん縁かけた、ひびも入った土の器に、その日その時をすごすに十分な愛と恵みと希望とをなみなみと注ぎ「行け」と押し出して下さる。途中でこぼしてしまったり、漏れ出てしまって全部の恵みを使っていなくても、また「わたしがあなたを遣わす」と言って下さる。この時を感謝して、ひと時ひと時を大切に歩む者になりたいと願う。
 与えられた場所で託された御用を精いっぱい成す者でありたいと願う―願いたい―できるかな〜お祈り下さい!!
(さとう ゆうこ)


神様に遣わされて
薩摩 愛樹
 今私は、教会関連の福祉施設で働いています。毎日忙しいですが、楽しくやっています。今こうして働いていられるのは、神様に遣わされているのだと感じています。          それは中学生の頃、まだ福祉とかいうものがある事すら知らず、職場体験で社会福祉協議会で働く事になりました。最初は適当に考え選んでいたため、特に何も感じずにいました。しかし、やって行くにつれ、福祉というものに興味を持ちました。今思うと、この体験があったからこそ今の自分がいるのだと思います。また神様が今の仕事に遣わすために、選ばせられたのではないかと感じます。この時、高校・大学と福祉の専門校に進む事を決めました。そこで多くの事を学んで来ました。しかし、楽しい事だけではなく、多くの苦労もありました。
 私は何度も苦労を重ねて行くにつれて、これは、神様が私に課した試練なのだ。神様が私をお遣わしになるのに対し、苦難を乗り越えなさいと言われているのだと、考えるようになりました。このように考えるようになってからは、神様は私を成長させて下さっているのだから、苦労や苦難から目をそらすのではなく、むしろ感謝するべきではないかと考えました。それからは、苦労・苦難を乗り越えるのを神様は信じて下さっているのだから、頑張らなくてはいけない。それが私の出来る事であるからだと考えました。
 その後大学1年生の時に、教会学校の教師にならないかと話がありました。その時私は悩みました。今まで生徒として神様の事を学んで来たとはいえ、いきなり教える立場に立って良いのだろうか。私みたいな者が教師になるべきなのか毎日考えました。そして、神様にお祈りをして、自分がどうすべきかを尋ねてみました。その時私には「悩まずに思った通りにしなさい」と言われたと感じ、教会学校の教師として神様に遣わされました。それからは毎週楽しく教会学校へ行き、多くの子ども達と共に神様について学んで行き、多くの笑顔を見る事が出来ました。
 それから数年後、私は就職で悩んでいました。就職しても教会学校の教師は続けて行きたい、教会から離れないようにしたいと望んでいたので、それが出来る職場がないかと考える中で、紹介されたのが今の施設でした。毎朝礼拝をしてから仕事を行っていて、教会から離れる事はなく仕事が出来る環境がありました。これは神様が私の思いを見据えて、この施設で多くの人から喜ばれるような働きをしなさいと、神様がお遣わしになって下さったためだと思います。
 これからも神様から遣わされた仕事である事を忘れずに、神様に感謝しながら仕事に励んで行きたいと思います。
(さつま あいき)

越谷教会月報みつばさ2011年11月号特集「わたしがあなたを遣わす」より


特 集