伝道師就任式(10/24)

もうひろ君とは呼べません
森谷 エイ子
 清水義尋伝道師の就任式が10月24日主日礼拝の中で、武蔵豊岡教会栗原清牧師司式により行われました。教団規定による神と教会の前で、皆様と共に誓約し共に祈る光栄を頂きました。    2011年3月11日東日本大震災が起きましたが、その現地で清水先生は献身を決意されました。石橋牧師はこの未曾有の災害に、即神学生、尋兄を含め11名のボランティア隊を組織され、臨時役員会を経て教会のマイクロバスで現地に向かわれました。
 奥羽教区の教会を巡って祈り、拠点を、災害を受けた上に港の漁船の出火で焼け野原になった釜石教会に置きました。礼拝を捧げて活動に出かけ、戻って礼拝。一人一人祈り、この旅は実に1740Kmに及び、石橋先生の「現地に立ち、自分の思いを発信」が成された。献身者が多く出られた祈りの旅であったとお聞きしました。義尋兄は帰って洗礼を受け、東京神学大学3年に編入学されました。
 当時CS分級後、幼稚園ホールに座った尋君の膝を定席にきめた生徒、背を登る生徒、尋先生動けません。膝占めは家の子なので困らないか心配すると「僕はRちゃんに感謝しているのです。おかげでCSの生徒達に馴染むことが出来ました」。「謙遜」が核になっている青年でした。教区通信の着任の文にも顕著に表れています。
 寮生活時代に私のキリスト教関係の本をあげようと、二人で選び持参のリュックに入れ、両手に束ねて下げて歩いて帰りました。あげるじゃ無いでしょ。整理して頂いて有難うと言わなくてはと反省。「友達に羨ましがられました」。尋君の言葉が先でした。以上はひろ君時代ですみません。
 「謙遜は知恵を伴う」箴言のことばです。就任式で読まれたローマの信徒への手紙12章にも同義語がありました。こうして神の物語、使徒言行録は紡がれ続くのですね。再臨の刻迄。これから先には試練、万策つきる事もありかも知れませんが、臆する事はありません。どんな事があっても、「主イエス・キリストにある神の愛からは引き離されないからです。」

(もりや えいこ)
越谷教会月報「みつばさ」2021年11月号より

      


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