神学校日礼拝 (10/17)

神の作品
福田 理絵
「・・・なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備して下さった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。」エフェソの信徒への手紙2章8~10節
 かつての私は自分の頑張りや、自分の義に生きていました。そのような私が挫折や打ち砕かれる体験を通して、「救いや恵みは自分の頑張りでも、善行の結果もたらされるものでもなく、神から無条件に与えられるものだ」とみ言葉から教えられました。
私たちは自分で頑張って生きているように思えても、背後にある神の手によって、導かれ、造られています。
 自分で行っていると思える奉仕も、神様がすでに準備しておられ、させて下さっていると思うと、ただただ神様に感謝の思いが溢れます。
献身するにあたり、自分を見ると、能力も自信もなく、今更何をと色々と否定する思いがありました。ですが、み言葉にあるように、何が出来るかではなく、神に造られた者として、新しく生かされた者として、神が用意された善い業を行う者になりたいと、信仰によって応答し、この度10月に東京聖書学校に入学いたしました。
 恵みによって伝道者となることが許され、神の教会に仕えさせて頂けるよう、しっかりとみ言葉を学び、必要や痛みのある所に遣わされる者へと成長したいと願います。
(ふくだ りえ)
越谷教会月報「みつばさ」2021年11月号より

      


ウィンドウを閉じる