園児と共に

ブランコでともだちの背中を押すとき
清水 義尋
「そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。『わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。』」(マルコによる福音書9章36~37節)
 スーツよりもエプロンを身に着ける生活にも少しずつ慣れて来て、最近は穏やかに子ども達との交わりを楽しむことができるようになりました。どろんこをピカピカの泥団子にするための工程、陽に透かした葉に刻まれている葉脈の輝き、季節の移ろいを告げる金木犀の心地よい香り。すべて、子ども達が僕に伝えてくれたことです。
 できないことを諦めずに努力し続けること、自分を傷付けた相手を「いいよ」と赦すこと、そして、主はいつも私と共にいてくださること。すべて、子ども達が僕に教え続けてくれていることです 与えるもの貧しく、贈られるもの実に多い日々のくらしの中で、みことばに想いを馳せてメッセージを紡げる。尊い日々への感謝を少しでも子ども達の中にいてくださるキリストにお返しすることができたなら。そんな願いを込めて、日に焼けて砂まみれ汗まみれになりながら、ともだちの素足についた泥を落とし、溢れる涙をハンカチで拭い、背中に乗せて園庭を駆け回って過ごしています。
 「そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』」(マタイによる福音書25章40節)
 「よしひろ!神さまのところまで!」嬉しそうに催促する大切なともだちの背中を、僕は毎日両の手で押し出しています。
 鎖を掴み、目一杯引き上げてから離すと、小さな身体が風を切ってふわりと浮き上がる。きみの笑顔に力をもらって、僕は背中を押す。たいせつなきみが本当に、神さまのもとに行けることを祈りながら。
(しみず よしひろ)
  
 
な~にができる…かな?

越谷教会月報「みつばさ」2021年10月号より

      


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