神学校日礼拝(10/20)

裁きと恵み

清水 義尋

 僕は毎年神学校日礼拝を楽しみにしています。普段共に学んでいる仲間を教会に招いて説教を聴けるというのは本当に恵みだなぁといつも思います。
今年は一体誰が来てくれるのかなぁとわくわくしていたら、なんと今年は僕!まさか自分がすることになるとは考えていなかったのでびっくりしました。
九月の終わりに引き続いての説教奉仕ということで、三週間後に備えて少しずつ準備をしたのですが、それはとても大変な仕事でした。牧師先生が毎週説教をし続けるということがいかに凄まじいことであるかを痛感しました。主の御助けが無ければ到底できることではないということを深く学ばせていただきました。
 みことばと格闘するということは苦難です。自分の愚かさや不信仰が明らかにされるからです。神さまの言葉は容赦なく罪人の霊に迫ります。正直に言えば、毎回逃げ出したくなる想いに駆られます。
 ですが、それは本当に恵み深いときでもあります。「主は打ち砕かれた心に近くいまし 悔いる霊を救ってくださる。」(詩編34編19節)
罪に砕けた霊をあたたかく包んでくださる主の愛に触れる。尽きぬ泉からどうにかこうにかひと?みして、与えられた福音を越谷教会の方々と分かち合う。そういう心持ちでメッセージの準備をしました。
 語る直前では心の中で「僕を遣わせたのは神さまです!責任をとってください!」と祈って講壇に上がりました。神さまに丸投げして、もとい、主に委ねて語ったので、僕はとても楽しかったです。今回の説教で一番励まされたのは僕自身です。それは神さまの、そして主の福音を共に味わってくださった皆さまのおかげです。
 本当に、どうもありがとうございました。

(しみず よしひろ)

越谷教会月報「みつばさ」2019年11月号より