埼玉地区講壇交換 (1/20)― 熊江秀一牧師(大宮教会)を お迎えして―


主の作品としての私たち 

清水 義尋

 大宮教会という大教会から先生が来てくださるということで、私は勝手に荘厳な雰囲気を醸し出す、近寄り難い牧師さんを想像していたのだが、いざお会いしてみると、熊江先生は丁寧で物腰の柔らかい、控えめな方であった。
 その一方で、熊江先生のメッセージは力強い励ましに溢れたものであった。
 先生は、エフェソ書2章10節に記されている「神に造られたもの」という言葉を中心として福音を語ってくださった。
 まず、我々の生活に溢れている、ビデオデッキ等の画一的な「製品」と、愛情を込めて、唯一無二のものとして創造される「作品」という言葉を対比された。
 その上で、主は私たちを「作品」として造ってくださったという喜びを教えてくださった。さらに、作品としてつくられた我々が持つ「欠け」というものに触れられ、私たちは欠けがあるがままに創造主なる神様に「極めて良かった」と見なされていること、欠けがあるがゆえにキリストの恵みを受ける者として生きることができるのだということを伝えてくださった。
 熊江先生の深い御言葉理解のお陰で、福音に満たされた、喜ばしい礼拝の時を過ごすことができた。
 熊江先生を派遣してくださった主に、また送り出してくださった大宮教会に心から感謝したい。

               (しみず よしひろ)




越谷教会月報「みつばさ」2019年2月号より