神学校日礼拝

 もう一度、知らないでいてほしくないこと

北浦 圭祐

 神学校日礼拝の説教では、夏期伝での挫折の経験を通して与えられた御言葉から、ゆだねること、そして教会の交わりと祈りに生きることの恵みを語らせていただきました。私自身、福音を語る喜びを味わい、それを皆さまとともに噛みしめるような交わりをさせていただきました。
 今まで石橋先生や清水神学生、またホームページの礼拝説教などを通して間接的に知っていた越谷教会の皆さまと、今回顔と顔とを合わせて交わらせていただいたことは、私にとって大きな喜びであり恵みでした。一年生の時から、いつか神学校日に越谷教会へ行くのが夢で、虎視眈々と機会を狙っていたのですが、今回四年越しでその夢が叶いました。
 夏期伝道実習に遣わされる前に、「夏期伝では失敗してきてください」といわれました。しかし、それだけで終わってしまうなら不十分だと思います。打ち砕かれたところに、恵みが注がれてこそ、はじめて本当に伝道を学ぶことになるのではないでしょうか。
 伝道者とは痛みを抱えながらも、与えられた恵みに立ち続ける人のことだと思います。信仰者も同じです。それでルターは、罪ではなくキリストに目を向けろといいました。私は今回の夏期伝を挫折としてばかり捉えていましたが、越谷教会で大きな恵みと喜びが与えられて、私にも夏期伝で多くの恵みが与えられていたことを思い出しました。
 これからの歩みの中で、自分に与えられてきた恵みをこそ大切にしていきたいと思います。その意味で、越谷教会の神学校日礼拝によって、未完成だった私の夏期伝がようやく終わった気がします。ありがとうございました。 

 (きたうら けいすけ)


越谷教会月報「みつばさ」2017年11月号より