役員研修会
2015年11月8日
贖罪信仰が全て
石橋 秀雄
教団の中に危機、それは贖罪信仰が軽んぜられているところにある。贖罪信仰が語られない教会、語らない教師がいる。贖罪信仰が吹き飛んでしまったら、主の御身体なる教会はしぼんでしまう。贖罪信仰なしには教会はない。贖罪信仰なしには伝道もない。
教団の歴史の中で社会活動が活発になって、主の御身体なる教会を建てるという、第一の伝道の使命が後退してしまった痛みを教団は持っている。その原因は50年前に出された「教団宣教基礎理論」にある。この宣教基礎理論では、伝道を内向きと批判し、外に向って宣教する事、その宣教とは社会の問題を責任的に担う教会になることが求められている。
社会的な問題を担うことは重要であるが、伝道が批判され、教団の紛争期には伝道が死語となり教団の伝道への意識が後退してしまった。このような伝道が死語になる背景には、贖罪信仰が軽視されたり、この信仰が吹き飛んでしまったところにある。
この教団を伝道する教団にするために、小島誠志元教団議長、山北宣久前教団議長の壮絶な闘いの結果、わたしが教団総会で議長に選出された時、議場の挨拶で「伝道に熱くなる教団、伝道に熱くなる教会へ」と訴えることができる教団となることができた。
三位一体の子なる神、主イエスがわたし達の罪の為に死んでくださった、この死によって罪赦された。
この神の救いの業を信ずる信仰、すなわち贖罪信仰が、伝道への押し出す力であり、主の御身体なる教会を建てて行く力となる。
(いしばし ひでお)