神学校日礼拝

御言葉に生かされる喜び

東京神学大学大学院修士1年  瀧山喜与実

 越谷教会は以前にも訪れたことのある教会だった。キャラバンを通してお会いした石橋先生との交わりがあまりにも面白かったため、神学校の友人たちと共に越谷へと伺ったのである。その時に教会と幼稚園を案内していただいた。平日の夕方だったので、棚橋先生と職員の方々が数名いらっしゃるくらいで、園児も教会員の方々も当たり前だがいらっしゃらなかった。教室やメールボックス、掲示板などに人の気配はあるものの、がらんとしていた。
 だからこそ、私は面食らった。朝7時半頃教会を訪れると、そこはすでに私を迎えてくださる笑顔であふれていた。教会員同士のあいさつもにぎやかで、一週間ぶりに教会に集えた喜びが感じられた。朝礼拝も主礼拝もたくさんの人が礼拝に集っていて、説教を熱心に聞いてくださった。真剣なまなざしと、頷いてくださる姿に励まされ、支えられていることを強く感じた。説教を語らせていただける恵みを味わった。
 CS礼拝ではたくさんの小学生と共に礼拝することができた。子どもたちの様子から、のびのびと教会を楽しんでいることが伝わってきた。礼拝が始まると一生懸命話を聞いてくれた。中にはお友達にいたずらをする子もいたが、それもまた可愛らしかった。いたずらっ子の君、案外君みたいな子が献身するんだぞ。 
 おいしいカレーを食べた後の卓球大会は、大家族の年末という感じがした。主にある大家族はお互いに遠慮がなく、気持ちがよかった。
 「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。」 (コリントの信徒への手紙 1-12章27節)
 越谷教会は、教会の一人一人が主の御体として生かされている。主にある命の喜びを感じた一日だった。

      (たきやま きよみ)


越谷教会月報「みつばさ」2014年11月号より