ユースミッション2013日独教会青年交流に参加して(8/18〜30)
乾燥地の人間と湿潤地の人間が共有するもの

   Y.S  S.S  

 ドイツはとても乾燥しています。気候が人を育てるのか、僕達が出会った現地の人々は爽やかでユーモア、そして何より優しい人達でありました。
 印象深い事はたくさんあります。どこを切り取っても絵ハガキになってしまう町並み、美味しいソーセージとビール、長い歴史を感じさせる美しい教会等、想いをめぐらせると様々な感慨が湧いてきます。しかし、一番の想い出はやはり異国の地で出会えた人達と交わした他愛ない会話の数々です。
 妹も僕も英語をほとんど話す事が出来ません。それでもドイツの人達は僕らの伝えたい事を理解しようとしてくれました。
 一度青年交流会に参加していたドイツの人達とゆっくり話をする機会がありました。時刻は夕暮れ。簡易ホテルの中庭にあるベンチに年齢、性別、国籍の違う人間がウッド調のテーブルを隔てて座っている。気を遣って話題を振ってくれるのだが早口で聞き取れない。聞き返すと丁寧に質問の内容を説明してくれる。ようやく話の内容が分かるとこちらも無茶苦茶な文法ながらなんとか応えようとする。それを向こうの人達はどうにかして理解しようとしてくれる。そのくり返し。
 ぎこちない、はずまない会話。しかし、居心地の悪さは感じませんでした。それは多分互いが互いを思いやろうとする心を持っていたからだろうと思います。慣れない手つきで赤ん坊を抱く時の様な心地良い緊張感と優しさで包まれたひと時。その様な暖かな時間を共有出来た事は僕にとってとても喜ばしい事でありました。
 僕のホームスティ先の人達は英語が話せませんでした。それでも色々な話をする事が出来ました。向こうは独英の辞書を持ち僕は和英の辞書を持って会話をしました。また、言葉は通じなくてもとても親切にしてくれました。朝僕の声がおかしかった時は心配して色々な薬を出してくれました。毎日サンドウィッチを作ってくれました。歩くのが好きな僕をよく散歩に誘ってくれました。
 他人、ましてや外国人になぜこんなにも親切にしてくれるのか。その理由はあえて書く必要も無い事だと僕は思います。
 ドイツはとても乾燥しています。別れの日頬を伝い僕の肌を潤したものは異国の地で同じものを共有する人々がくれた優しさであったのかもしれません。




越谷教会月報「みつばさ」2013年9月号より