聖書を読む

N.I

 ふと気がついたのですが、CS教師の奉仕をさせて頂いて、恐ろしい事に十年以上も経っていました。いつの間に!です。
 今でも、小学生の前で最初に話をした時の事を、その時に感じた緊張と共に鮮やかに思い出せます。何をどう話して伝えるのか、何日も前から悩んで何度も聖書を読み返してました。話している最中に、用意した原稿内容を途中で見失ってしまい、頭の中が真っ白になり冷や汗を掻いたものです。
 正直、自分の話が「説教」とは、とても言えない拙いものだと分かっていたので、話をするのは苦痛でした。それでも、半年に一回くらいの頻度だったので、なんとか奉仕をさせて貰いました。
 しかし、中高青年科に移ることになり、3人の先生でローテーションを組む事になると、月に1回も「説教」が回ってきたのです。しかも相手は中高青年。冷や汗どころか、毎回脂汗を掻く思いでした。
 しかし、とにかく毎月話をしていると、努力は実るもので、話をするコツが掴めてきました。とは言っても、楽勝であるわけもなく、未だに当日話す直前まで、自分で納得のいく話にまとめる事が出来ず、胃がキリキリと痛くなる事も多々あります。そして、話の質が昔よりも良くなったかと言われれば、必ずしもそうではないのです。
 ただ少し、気持ちが楽になった、ぐらいでしょうか。なぜなら、毎回苦しんで?いますが、聖書を読む楽しさを思い出したからです。
 私は、生まれてからほぼずっと、毎週越谷教会に来ていたのですが、正直小学校高学年になるまでは、先生の話は聞いていなかったのだと思います。覚えていないので(笑)でもある日突然、聖書に夢中になりました。小学生の私にとって聖書の中には、冒険やロマン、奇跡に愛が溢れてて、古今東西のどんな話よりも面白くて興味深いものでした。
 今、話をする為に聖書を読み始めると、いつの間にかのめり込んでいる自分に気が付きます。それは、幼い頃の気持ちを思い出させてくれました。いつの間にか小難しく読む様になっていた聖書に、愛が溢れているのを感じられる様になったのです。これはある意味、CS教師の奉仕に夢中になっているってことですよね(笑)感謝です。


越谷教会月報みつばさ2012年2月号「私・・・に夢中です」より