第23日

12月23日(月)




ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
(ルカによる福音書2章4節)
      
 ベツレヘムやヘブロンの丘陵が死海へと落ちていく赤茶けた砂漠が、ユダの荒野です。一年を通じて殆ど雨の降らないこの荒涼とした原野を、ベドウィンの羊飼いたちがのんびりと歩いていきます。これは時代や時間をまるで超越した美しさにほかなりません。ユダの荒野は聖書の時代から、預言者や王たち、革命家や修道僧たちが身を隠した場所でもありました。それは亡命の地であり、革命の砦、修業の地、さらに神様と対面する聖書と信仰の原点でもあったのでしょう。
 ユダ・サマリア地方はイスラエルの中心を南北に走る丘陵地帯で、エルサレムを境に、南をユダ、北をサマリアと呼んでいます(アラブの人たちはウェスト・バンクと呼んでいます)。ベツレヘムはそのユダ地方にあり、エルサレムの南約10kmのところにあります。その名はヘブライ語で「パンの家」を意味するそうです。

聖誕教会
 イエス・キリストの生誕を記念する教会です。ローマ帝国皇帝として最初にキリスト教に改宗したコンスタンティヌス帝(正確には西ローマ帝国皇帝)によって紀元326年最初の聖堂が建立されました。その200年後、ユスティニアヌス帝が再建し、十字軍による改修を経て今日に至っています。バシリカ方式という最も古い教会建築様式で建てられています。建物は十字架の形になっていて、十字架の縦の部分の両側には50本の太い大理石の柱が並んでいます。このコリント式の列柱と壁に残るモザイク画の断片はユスティニアヌス帝時代のもの、床の下に一部発見された華麗なモザイク模様はコンスタンティヌス帝のものとされています。十字に交わった祭壇の下は、最も聖なる場所、イエス・キリスト生誕の洞窟です。イエス・キリストが生まれたといわれる場所には銀の星型がはめ込まれてあり、一段低くなった部分が、イエス・キリストが飼い葉桶に寝かされた場所と言われています。

ミルクの洞穴
 この洞穴は赤ちゃんイエスを連れたヨセフとマリアの聖家族が、ヘロデ王から逃れてエジプトに旅立つ途中の身を隠した場所といわれています。伝説ではマリアがイエスに乳を飲ませていて、その滴が岩に落ち、岩が真っ白に変わったと言われています。ここの岩の粉を飲むとお乳の出が良くなるという言い伝えもあります。

羊飼いの野
 ベツレヘムから東に2km程行った所にあるアラブ人の村ベイト・サフールにあります。ここは天使からイエス・キリストの誕生を告げられた羊飼いたちの野とされています。そこにある教会は新しいものですが、裏にある洞窟は昔ながらの羊飼いの生活が偲ばれるようです。
      
 ガリラヤはイスラエルの最北部で、最も緑豊かな地方です。年間降水量も1000mm以上に達し、ヨーロッパと比べても遜色がない恵まれた土地です。イスラエル最大の淡水湖ガリラヤ湖の存在も大きいようです。一世紀にエルサレムの神殿が陥落して、ユダヤ教の中心がこの地方に移動した時期があり、ティベリアやツファットはユダヤ教の聖地になっています。イエス・キリストはその生涯の大半をこのガリラヤ地方で過ごしました。故郷のナザレや、伝道の拠点クファルナウムもこの地方になります。
 そのイエス・キリストの故郷ナザレは、人口7万人程、住民の約半数はキリスト教徒です。街中には聖家族ゆかりの教会があります。

受胎告知の教会
 ナザレの乙女マリアは、ある日突然天使ガブリエルから神の子を宿すことを告げられます。その場所に建てられたのがこの教会です。1階には岩を掘ったマリアの家とされているもの、ビザンチン時代の教会の基礎石、十字軍時代の教会の壁などが保存されています。2階には聖堂があり、その両側の壁には世界中の信者が寄進した聖母子をテーマとした絵画が飾られています。左手側には長谷川路可画伯の「華の聖母子」が飾られていますが、なんとこれが和服姿のマリアなのです。

聖ヨセフ教会
聖ヨセフ教会跡 イエス・キリストがベツレヘムで誕生し、エジプトへ避難の後、一家はナザレに戻ってヨセフの家で暮らしたといわれています。受胎告知の教会の敷地の中には一家が生活した場所を記念する聖ヨセフ教会があります。古い貯水槽を改造して、聖家族はつつましい生活をしていたということです。

聖ガブリエル教会とマリアの泉
目抜き通りのパウロ6世通りに面して、マリアの井戸があります。ギリシャ正教の伝承では、マリアが此処で水を汲んでいるときに、天使ガブリエルが現れたということになっています。水源はやや後方にある、天使ガブリエルにちなんだ聖ガブリエル教会の中にあります。
 

              
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