その後マリアはザカリヤの家に行って、エリザベトにあいさつしました。あいさつを聞いたとき、子がエリザベトの胎内でおどリ、エリサベトは聖霊に満たされて言いました。
「主の母が私のところに来られるとは、何ということでしよう。主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしよう。」
マリヤのいたナザレはエルサレムより北方にあり現在は「エン・ナーシラ」と呼ばれ、エリザベトとザカリヤの家はエルサレムの西8キロにありかなりの距離がありました。その家のあった場所は現在は聖母訪問教会が建てられています。
年齢のいったエリザベトとまだ十代のマリアは年の差を越えて、共に同じ救い主のもとにある者としての喜びを分かち合います。このマリアの訪問は救い主の到来を知らせる最初の行為でした。しかも、マリアに宿った救い主のほうから、訪問されたのです。神はいつも自ら私達を訪問し、私達のところへ救いをもたらして下さるということの成就であるのです。
マリアはエリザベトのところでに三ヶ月ほど滞在しましたが、その間に共々に起こった驚きを言葉にし、信仰の告白として語り合ったといわれています。マリアの中に熟した信仰は、やがて彼女自身の言葉による賛美の告白となりました。
マリアは言いました。
「わが霊は、救い主をたたえます。主はこのはしために目を留めてくださったからです。その御名は聖く、そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます。主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、そのしもベイスラエルをお助けになリました。」
これが有名なマリアの賛歌です。古くから、この賛歌はマニフィカトとして多くの音楽家によって美しい歌として歌われました。とくにバッハのマニフィカトに聞く冒頭の高らかに歌い上げるような序奏の音色は、マリアの信仰の輝きを象徴するかのようです。
「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。」
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