12月22日(日)

 

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天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。」
(ルカによる福音書1章28節〜31節)

受胎告知

 
ある時天の御使いが、ガリラヤのナザレという町のある年若い処女のところを訪れて来ました。この娘は、ヨセフのいいなずけでマリアと言いました。御使いは言いました。「おめでとう、主があなたとともにおられます。」
天使ガブリエルザカリアに天使が現れて、妻エリザベトにヨハネが生まれると告げたこととそっくりのことがマリアにも起こっています。
 しかし、マリアはいったい何の挨拶なのかと考え込んでしまいました。御使いが言いました。
「こわがることはありません。あなたは男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。」
「どうしてそのようなことになリえましょう。私はまだ男の人を知リませんのに。」
「聖霊かあなたの上に臨みます。それゆえ、生まれる者は神の子と呼ばれます。親類のエリサベトも、あの年になって子を宿しています。神に不可能なことは一つもあリません。」
「私は主のはしためです。どうぞ、おことばどおリになリますように。」
 この聖霊によって子どもを宿すということは、今の時代でも実証できないことです。でも実証できないことは事実として認めないという考え方は、科学的な知識に裏付けされた答えであって絶対的なものではありません。心理学者ユングは「すべての宗教的言語は象徴性を持つ」と言っています。象徴は時間や空間を越えて普遍的なことを伝えるので役立つものです。聖書の記述は神話的な表現ではありながら、時の皇帝アウグストゥスやヘロデを歴史の証人として登場させながら、その時代の中で苦悩や喜びをもって生きている人間のメッセージであり信仰の告白なのです。
受胎告知 さて身に覚えのない受胎を、しかも突然に告げられた時、女性はどのように反応するのでしょうか?
まず驚き、怯え、顔をしかめたり、あるいは逃げてしまうことでしょう。マリアも例外ではなかったのです。
この中でマリアは戸惑い、疑い、悩み、でも最後に「おことばどおリになリますように」と決断の告白をしています。マリアは天使のお告げに、考えてもわからないことだらけだったに違いありません。そこで大天使は言います。
「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。」
そしてマリアは、しばらく考えた末、私には分からないところが沢山あるけれど、神様は一切ご存知なのだから、全てを神様にお任せしましょうと言ったのです。全てを神に委ね生きて行こうと思ったのです。

エリザベト その後マリアはザカリヤの家に行って、エリザベトにあいさつしました。あいさつを聞いたとき、子がエリザベトの胎内でおどリ、エリサベトは聖霊に満たされて言いました。
「主の母が私のところに来られるとは、何ということでしよう。主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしよう。」
マリヤのいたナザレはエルサレムより北方にあり現在は「エン・ナーシラ」と呼ばれ、エリザベトとザカリヤの家はエルサレムの西8キロにありかなりの距離がありました。その家のあった場所は現在は聖母訪問教会が建てられています。

年齢のいったエリザベトとまだ十代のマリアは年の差を越えて、共に同じ救い主のもとにある者としての喜びを分かち合います。このマリアの訪問は救い主の到来を知らせる最初の行為でした。しかも、マリアに宿った救い主のほうから、訪問されたのです。神はいつも自ら私達を訪問し、私達のところへ救いをもたらして下さるということの成就であるのです。
 マリアの賛美マリアはエリザベトのところでに三ヶ月ほど滞在しましたが、その間に共々に起こった驚きを言葉にし、信仰の告白として語り合ったといわれています。マリアの中に熟した信仰は、やがて彼女自身の言葉による賛美の告白となりました。
マリアは言いました。
「わが霊は、救い主をたたえます。主はこのはしために目を留めてくださったからです。その御名は聖く、そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます。主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、そのしもベイスラエルをお助けになリました。」
これが有名なマリアの賛歌です。古くから、この賛歌はマニフィカトとして多くの音楽家によって美しい歌として歌われました。とくにバッハのマニフィカトに聞く冒頭の高らかに歌い上げるような序奏の音色は、マリアの信仰の輝きを象徴するかのようです。
「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。」

天使

 さて、イザヤはメシヤについての預言を多く語っていますが、ここでは、メシヤが「処女」から生まれると言っていることに特に注目してみましょう。この処女降誕に関する預言は、マタイの福音書1章18〜22節において、成就したことがはっきりと述べられています。人間の罪を救う救い主は、罪のない方でなければなりませんでした。なぜなら、罪のない方でなければ、人間の罪の身代わりになって死に、救いのわざを全うすることができないからです。
 このために、処女マリヤの上に聖霊なる神の力が働いて、処女降誕という奇跡によって、救い主イエス・キリストはお生まれになったのです。
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