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12月19日(木)


生誕


あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。
(ルカによる福音書2章12節)


生誕

 クリスマス・カードや古い聖画を見ると、イエス・キリストは丸太小屋の中で、牛や馬や羊に取り囲まれ、羊飼いたちの来訪を受けたように描いてあります。これはおそらく、ベツレヘムの宿屋はいっぱいであり、泊まることができず、生まれた幼子は飼葉おけに寝かせられたと聖書に書いてあるところから、画家たちが想像によって描いたので、こうなってしまったのでしょう。

洞窟のイエスさま

     
 現在ベツレヘムの生誕教会の中にある、キリスト誕生の場所と伝えられる所は、地下の洞穴で、けっして丸太小屋ではありません。最近の考古学によってパレスチナでは、当時洞穴を住居や家畜小屋に使っていたことが明らかになってきました。それゆえ、イエス・キリストが誕生した場所も、おそらく洞穴であったろうと考えられます。
ついでに、私たちは無意識で、そこは馬小屋であったと考えたり、語ったりしてしまいますが、厳密に言うとそれも疑問なのです。
なぜなら、パレスチナで馬を見ることは、非常に珍しいことだからです。 ソロモンの時代にも馬はエジプトから輸入していました (列王記10・28)パレスチナには羊やろばはごく普通に見られますが、馬は王など高貴な身分の者以外には所有していなかったと思われます。牛は、「バシャンの雌牛ども」(アモス4・1)と語られているように地域によって見ることができます。今日でもゴラン高原の方へ行くと、群れをなして放牧されているのを見ることができます。ですから、牛はいたとしてもあまりおかしくありませんが、馬まで描いてしまうのは間違いではないかと思います。





 では、赤ちゃんイエスさまを寝かせてあった飼い葉おけは、どんなものだったのでしょうか?日本人の私たちが「飼葉おけ」ということばを聞くと、すぐに木で出来た丸い形をしたおけを考えてしまいますが、イスラエルの飼葉おけは日干しレンガや大きな石をくり抜いて造られた長方形のものでした。メギドの遺跡から発掘された、ソロモン時代の飼葉おけは、長方形の石を、飼葉を入れるために四角く掘り下げたものでした。大きさといい、形といい、ベビーベッドにまさにぴったりのもののようです。
 生まれたばかりのイエス・キリストを布にくるんで飼葉おけに寝かせたと聖書に書いてあるのは、手近にあるもので、飼葉おけが、幼児を寝かせるのに最も適していたからではないでしょうか。





 イタリア北部のアッシジで13世紀の前半にフランシスコ修道会を創始した修道士のフランチェスコは、このイエス・キリストの降誕の場面を再現したクレブの創始者としても名まえを残しています。クレブとは元々は「飼い葉桶」という意味だそうですが、ミニチュアの家畜小屋や人・動物を使って作ったディオラマのことです。ドイツではクリッペ、フランスではクレシュ、イタリアではプレゼピオ、イギリスではマンガーシーンなどとも呼ばれています。
 フランチェスコは晩年になって念願の聖地巡礼に出かけて行きますが、戻った彼は1223年のクリスマスの夜に、グレッチオと言う所でイエス誕生の物語を再現することを思いつきました。本物の洞窟に藁を敷き、木と藁で飼い葉桶をしつらえ、本物の牛やロバまで用意し、町の人々にマリアやヨセフや羊飼いの役を演じてもらったそうです。これの生誕劇が広まり、各地で等身大の模型を組んで聖堂内や町の広場に飾られるようになりました。


nativity現在では、各家庭でも飾ることが出来るように、小さなものが多く市場にも出ています。材質は陶器、木、籐、石、布など様々です。アドヴェントに入ると飾り付けがなされ、エピファニー(公現日)には片付けられます。日本のお雛様や五月人形と同じように毎年使い、人形を買い足したりしながら先祖代々受け継がれてきたものなのです。 こうして多くの時代の過ぎる中で、主イエスさまの生誕は変わらず人々にお祝いをされてきました。