洗礼者聖ヨハネ( S.Joannes Baptista C. )はイエスに先立つ荒野の預言者、旧約最後の預言者といわれています。悔い改めと再生の儀式として洗礼を行い、これを重視する教えを広めました。他のヨハネと区別するため洗礼者ヨハネと呼ばれています。
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マリアの親類のエリザベトは、エルサレムの祭司ザカリアと結婚しましたが長い間子供に恵まれず、年もとってきたので殆どあきらめかけていました。あるときザカリアは天使ガブリエルから男の子を授かると言われました。年老いたエリザベトはやがてみごもって男の子を産み、その子をヨハネと名付けました。
洗礼者ヨハネは、マリアの母アンナの姉妹ヒスメリアの娘エリザベトの息子なので、キリスト・イエスとは従従兄弟(はとこ)になります。
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カソリックでは普通、聖人は命日を天国への誕生日として祝いますが、ヨハネとマリアは生まれながら「聖」とされたため、誕生日が祝日となっています。ルカによる福音書第1章の記述から、ヨハネの誕生はイエスの6か月前とされています。この6月24日は5世紀以来、洗礼者ヨハネ生誕祭として祝われ続けています。
ヨーロッパではちょうどこの頃が牧草を刈る頃になるので、その頃に行われるお祭り(起源はスカンディナヴィアの祭事とも、ケルトのガウェインの盛夏祭ともいわれている)が、布教の過程で「洗礼者聖ヨハネの誕生日」に融合されたようです。
お祭りの前夜には妖精や悪霊などが姿を現し、人里を横行すると言われ、そのため魔除けとして、夜明け前まだ夜露に濡れているうちに「洗礼者ヨハネの草花」(オトギリソウ、ヨモギ、オオバコ、アラゲシュンギク、ニワトコ、ノコギリソウ、キヅタ、クマツヅラ、ムラサキベンケイソウなど)を摘んでくるそうです。それで花輪をつくって戸口につるしたり、あるいはそのまま火にくべたりすれば悪霊を追い払うことができるとされていました。
魔物を追い払い、弱まり始めた太陽に力を与えるために、山頂や、丘、広場、十字路などで、日没とともにかがり火を焚きます。この火は「ヨハネの火」として恵みをもたらすとされ、人々は数日前から藁や薪を用意し、村の広場や草原に積み上げて燃やしました。そのあと人々は火の上を跳んで作物の生長を願い、輪舞が始まるのだそうです。
火は高く跳び越すほど作物の出来がよくなり、火の上を手をつないで跳び越えるとき、手を離さなければ幸せになれるとされていました。 |
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さて28年頃からヨハネはヨルダン川沿いの地域で、神の審判や救世主の到来に備えて人々を改心させるため、教えを宣べ洗礼を始めました。聖書ではヨハネは「らくだの皮衣を着、腰に革の帯をしめ、いなごと野蜜を食べ物とする人物」と記述されています。ヨハネは、ファリサイ派などのユダヤ教の主流派が、律法を守ってきたことを誇り、律法を守らない人びとや貧困などで守りたくても守ることのできない人びとを、穢(けが)らわしいものとして差別し蔑(さげず)む心を罪と考え、神の国が近づいた悔い改めよと説きました。多くの人々がヨハネに自分の罪を告白し、ヨルダン川で洗礼を受けました。
イエスが洗礼を受けに訪ねて来たとき、ヨハネは自分のほうがイエスから洗礼を受けたいと言いましたが、イエスから乞われたので洗礼を行いました。イエスが水から上がると霊が鳩のように降りて来て、天から「これはわたしの愛する子であり、わたしの心に適う者である」と声が聞こえたということです。
その頃ガリラヤとペレアの分国王ヘロデ(ヘロデ大王の息子の一人ヘロデ・アンティパス)は、兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚していましたが、洗礼者ヨハネは、この結婚が「律法で許されてはいない」と言って批判をしたといいます。こうして洗礼者ヨハネは、ヘロディアの恨みを買ってしまったのです。
あるとき、ヘロデ・アンティパスは自分の誕生日に高官や将校、有力者を招いて宴会を催しました。その席でヘロディアの娘が見事な踊りを披露し参列者を大いに喜ばせたので、王は一同の前で娘に褒美としてこの国の半分でも与えるから何でも願うように言いました。娘は母のもとに行って相談しましたが、母は「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきたい」と言わせたのです。ヘロデ・アンティパスは躊躇いながらも部下に命じて、牢につないでおいた洗礼者ヨハネの首をはねて、これを盆に載せてもってこさせました。
見事な踊りを披露したヘロディアの娘の名は福音書にもF・ヨセフスの著作にもありませんが、サロメと言い伝えられています。 |
さてマタイによる福音書には獄中の洗礼者ヨハネから主イエスのもとに、「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」(11章3節)という質問を寄せたとあります。その質問は洗礼者ヨハネのこれまでのすべて、さらにその将来の運命がかかっていると言ってよい全存在をかけた問いで、しかもただヨハネという一個の人物を左右するだけでなく、当時のイスラエルは言うに及ばず、世界の歴史、そして今日の私たちをも左右する重い問いでありました。「来るべき方」とは当時の意味ではメシア、すなわち救い主のことです。救い主がすでに来ているかどうか、しかもヨハネが問うているのは、単に救い主と自ら僣称したり、人々に祭り上げられたりする人物のことではありません。これは真の神から遣わされた真の救い主かどうか、そしてもし主イエスがそうであれば、すでに待つ時は終った、もしそうでなければ、さらに待ち続けるということになります。
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洗礼者ヨハネの問いに主イエスは、「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目に見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている」と答えられました。これらは旧約のイザヤ書の救い主の出現を預言した言葉(29、35、61章)の実現です。間接的ですが、ご自分こそまさに来るべき救い主であると述べているのに他なりません。特に「福音が告げ知らされている」ということがその何よりの証しです。
主イエスはヨハネについて自分の弟子たちに、彼こそ「預言者」、しかも預言者中の最大のものであると述べています。そして「すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである」と、ヨハネの時は終り、救い主を純粋に待つだけの時は終ったのだと言っておられます。ヨハネから後の時代、主イエスが私たちのために十字架に掛かられた後の時代の私たちは”この救い主なる主イエス・キリストの再び来られる時を待つようになる”とはっきりと言われたのではないでしょうか。今度はヨハネに代って私たちが、再び主の来られるのを待ち望み、祈っていくものです。 |
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