第2日

12月2日(月)




 

幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。
(コリントの信徒への手紙T13章 11節)



越谷教会附属幼稚園では毎年子どもたちが自分で役を選んでクリスマスページェントをお捧げします。クリスマスの何日も前から、毎日役を変えたりしてページェントをしながら、自分の感じた役を決めて行きます。マリアさまを男の子が演じたり、天使が沢山いたり、ヨセフさんが一人だったり、ひつじさんやロバさんがいたりそれぞれです。今年のページェントはマリアさんが一人でヨセフさんが沢山、兵隊さんが人気だったそうです。毎年色々なクリスマスページェントが繰り広げられるので園長先生やご家族の方々も楽しみのようです。

      
ページェントについての幼稚園の先生のお話です。
『私は年少組の担任だったため、初めてページェントをお捧げするこの子たちにどんなふうに「クリスマス」の意味や、イエスさまがお生まれになって下さった事を伝えようかと頭を悩ませました。そして、どうにか幼稚園で過ごせるようになったこの子どもたちが、ページェントを通して色々な事を学び、世界が広がり、お心豊かになるように・・・と先生方と毎日話し合いながら、ページェントをお捧げする日々を過ごしました。ページェントを終えてお部屋に戻ってくると
「ああ楽しかった」の声や「次もひつじやろう」などそれぞれがちゃんとページェントに向き合っている姿が見えました。




そんなある日、主任の先生から、ページェントは「劇」ではなくお礼拝として考えること。「役」ではなくて、どんな人、どんな動物になりたいのか。「せりふ」ではなく、その人の「ことば」なんだという事を教えていただき、一生懸命何か形にしようとしていた自分が恥ずかしくなりました。



ある日のページェントで、ろばをやっていた年中組の男の子が馬小屋に着いたとたん、四つんばいのまま、ほほをホールの床につけてしまったのを見て、具合が悪くなったのかなと思い声をかけたら「つかれちゃったの」と言いました。私は静かなページェントの中で、たくさんの力を使ってその男の子が疲れてしまったのだと一瞬勘違いしましたが、そのあとも体勢を変えながらゴロゴロするのです。でもその表情は真剣で。そこでこの子は、ろばになり切っているのだと気付きました。ヨセフさんやマリアさんを支えながら長い旅をして、何軒も宿屋さんに断られ、やっと馬小屋に案内されたろばが「つかれちゃった」のだと。
その後も最後の”みてごらん”で馬小屋にみんなが集まって来る所では、ローマ兵さんがまさしくローマ兵になり切って、手足をあげて行進しながら階段を降りてくる子がいて、最後の最後までお気持ち途切れずページェントに向かう姿に驚きと感動をもらいました。
ある講習会で、子どもというのは大きな力が生まれながらにあり、宿されている力が前にいくのをサポートしていくのが保育であり、むしろ目覚めなければならないのは私たち大人なのだという言葉が心に残りました。まさに去年のページェントそのものだと思いました。子どもにとって何が面白いのか、隣に座り同じ目線で、見て聞いて感じ取っていきたいです。(A.N)』

 

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